ふみのや ときわ堂

季感と哀歓、歴史と名残りの雑記帳

まぶたの裏に、夏の特別がある。風の古民家うえみなみレポ。

ふりあおいだ、入道雲。
リボンひらめく、麦わらぼうし。
そでの丸いワンピース。
しずむ夕陽をながめたテトラポッド。
神妙に手をつないだ、かえり道。
日焼けなんて、どうでもよかった。
花火なんて、なくてよかった。

金粉を散らしたようにはじける、早暁の小川。
首からさげた、ラジオ体操のスタンプカード。
縁側の風鈴からのびる短冊の、らくがきのようなクレヨン。
いつもように、はんぶんこにした缶ジュース。
夕まぐれ、立つ風にふいに鳥肌が立つ。
くらやみに浮かびあがる、夜店のリンゴ飴。

さそりの赤黒いアンタレス。
こぼした白に、けぶる天の川。
田畑はどこも暗く黙りこみ、夜天だけが豁然とあかるかった。
高々とくゆる、蚊とり線香。
天井には、だいだいいろの豆球がひとつ。
まぶたがとろけて、幕がおちるように眠った。

家のまえの渓流に、こまかいちりめん波が、風のとおり道にだけ立っている。
ふいに、心臓をひと突きするものがある。
予感だ。
すだれがゆれる。
暑さのさなかに立ちどまる赤とんぼに、夕暮れの風の涼しさに、近ごろ、入道雲をみなくなったことに。
秋の名をした使者は、素知らぬ顔でとなりに座っている。
夏のおわりが近づいてくる。


和歌山のみさと天文台にいってきた。
お宿は、天文台からほど近くの、築150年の古民家。
去年、その町ではじめての登録有形文化財に指定されたらしい。
きりもりしている女性の家主さんの、おばあさんの家だったという。
大阪の都会で育った彼女は、毎年夏になると、いとこたちとここに集ったという。
8月のまるまる1ヶ月。
いとこたちと川へ行き、山へ行き、人里離れた木こりの家で、めいっぱい遊んでくらしたらしい。
なんてめくるめく夏休みだったんだろう。
もう何世代もまえに、失われた夏の特別だった。

そんな思い出もなく、もうおとなになってしまったわたしたちも、ついた瞬間から歓声をあげまくった。
口々に言った。
「もう星が見えなくても、この宿の段階で満足」

お昼には、縁側のまえで、はんぶんに割った竹をつかって、流しそうめんをした。
生解説のプラネタリウムを見上げて、温泉にはいった。
お夕飯も、外にだした七輪で肉を焼いた。
おかずは野菜たっぷりでなにもかもがおいしくて、女主人とうちとけて話した。
眼前にせまる峰々に、透ける夕陽をみていた。
天文台の大型望遠鏡で、土星の輪っかをみた。
夜には、ウッドデッキにシートをしいて、寝ころがって天上を見上げた。
このあたりにはこの一軒しかない。
闇がこめていた。
ペルセウス座流星群の日だった。
この町は、環境庁の、日本有数の星のきれいな町に選ばれている。
あたたかくくるまりながら、星を見あげていた。
双眼鏡をまわし見ながら、話しているうちに、だんだんひとりずつ寝落ちていく。
雲の流れをのんびりと追った。
15年ぶりの大接近の火星は、赤々と、あきらかに異質な輝きをしていた。
生き残った3人で、流れ星を待つ。
スマホアプリを夜天にだぶらせて、星座をさがした。
3時間、いや、4時間たっている。
星空ながめて4時間なんて、そんな贅沢な時間の使いかたは、まずない。
双眼鏡をかかげていたひとりが、スバルを見つけた。
騒然となった。
寝落ちていたふたりをたたき起こし、双眼鏡をまわす。
夏なのに!
冬のスバル!

おとなになってしまったあなたにも、特別な夏の一日を。

 

▼お宿はこちら。風の古民家うえみなみさん。

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たたるほど、皇位が近づき、業苦であるほど、たたえられる早良親王。

先日、八所御霊神社でまつられていた、吉備大臣。
つまりは吉備真備。

▼この記事

このひとは、どうして、たたるひとたちに加えられているのか。
どう考えても、徳川家康的な人生を送っている。
そもそも、御霊メンバーがすごすぎるのだ。
このメンバーにどうして、真備が。
その違和感を説明するために、ここで八柱を、おさらいします。
崇道天皇 憤死
伊豫親王 自害
藤原吉子 自害
橘逸勢 流罪
文屋宮田麻呂 流罪
藤原広嗣 刑死
吉備大臣 謎
火雷神:人ばかりだとまずいので、神様をドッキング(よくある)

このなかでも、抜群に御霊であるひとがいる。
崇道天皇。またの名を、早良親王。
桓武天皇の弟宮だったが、渡来人の母の身分の低さから、皇統のあらそいをさけるために、幼くして出家させられた。
こういうことは、よくあった。
ものすごくよくあった。
法親王、入道親王などと呼ばれる。
かれら貴人のみを、住職にむかえる寺があるほどである。
宮門跡、親王門跡という。

▼徒然草52段、「仁和寺の法師」の仁和寺も、親王門跡。

週刊古寺をゆく 28(仁和寺と洛西の名刹)

出家することになった時点で、この世の栄達とは、おわかれである。
だれかを娶ることもない。
子もない。
読経があるだけだ。
兄宮はすべてを手にいれているのに、弟宮の自分は、すべてを棄てさせられている。
よくあることだ。
悲しがることもない。
なにせ、母方のうしろ盾がないのだから。
しかたがない、うまれおちたときから運命づけられている。
貴種にうまれるという時点で、政争からは、のがれられない。
陽の光が強ければ、かげも濃くおちるだけだ。
御位というのは、あまねくこの国いちばんの光である。
たいらかな御代のために、この身を捧げるだけである。
食い詰めもしない。じゅうぶんだろう。
幼かったから、そういうものだと言い聞かせられた。

ただ、還俗という手段は、のこされていた。
お金をつめばかんたんにできる。
30歳をこえたころ。
兄宮の桓武が即位するにあたり、かれは、還俗することになった。
兄の嫡子は、おさなかった。
そのつなぎだった。わかってはいた。
立太子。
東宮になった。
ここで、人生に、急に光がさしはじめる。
中継ぎとはいえ、日嗣の皇子だ。
さびしい暮らしをしていた身に、訪れた春の光はまぶしかった。

しかし、一転、4年後。
藤原種継の陰謀に連座したとされ、廃太子される。
かれは無実を訴え、絶食。
憤りのあまり亡くなった。憤死とされる。
死因は、餓死。
かれはなにを思って、かつえたのか。
それとも、食べものが与えられなかったのか。

餓死はなかなか苦しい死因のひとつで、密教の修行のうちに、即身成仏というものがあるほどである。
一朝一夕には死なない。
徐々に徐々に、体力が削られてゆく。
砂時計の速さで、いのちの陽がおちてゆく。
みずから食を断ち、みずからの意思で成仏していく、すさまじい行である。
高僧がえらぶ、最期の修行。
さほどに餓死は、苛烈である。

▼即身成仏のようす

増補 日本のミイラ仏

親王はなにを思ったのか。
あまりに有名な恨み文をのこしている。
東宮の位にあったひとが、天をのろい、皇位をのろった。
かつえて、苦しみ、世を去った。
そしてその後、朝廷を次々と凶事が襲った。
ひとびとはうわさする。
東宮のたたりであると。
そうやって、即位の事実はないものの、諡号があった。
祟道天皇。
だいたい、天皇になっていないのに、天皇の名を冠するというのは、もはや慰撫しかない。
名誉をもって、押し戴き、たましいをしずめるのだ。
すめらみことの御位にあったという、ほまれを捧げる。
最上級の礼をもって、讃える。

ちなみに、日本三大怨霊のひとり、崇徳天皇はまた別人である。
「祟道」や「祟徳」は、天皇の死後におくられるものなので、本人がそうと決めたわけではない。
わかりやすく、たたりなんてつけていいのか、逆にたたらないのか謎だが、「あがめる」と読むのだろう。

▼崇徳天皇、こわい。

崇徳院怨霊の研究

 

さらに脱線するが、あの聖徳太子も諡号である。
本人は不本意な死をむかえてはいないが、子孫が根絶やしにされている。
わりとひどい。
15人近く、全滅させられた。
高貴なひとが謀殺されると、おおむね、たたる。
だいたい無実だからである。
徳があったのだから、たたらなかったのか、徳があったから、たたらないでほしいと、願われたのか。
崇徳にも聖徳にも、徳がついている。

かつて貴い血は、犠牲をもとめた。
早良親王も、東宮にさえならなければ。
ひのき舞台に、押し出されなければ。
権力に、翻弄されなければ。
千年ののちまで、たたることも、なかったのに。

いや、もしかしたら、もうたたることもないのかもしれない。
たたってはいなかったのかもしれない。
災害なんて偶然だ。
なのに、死後にまで悪名をとどろかせた。
貴種の死は、無実であった。
生者は、後ろめたければ、後ろめたいほど、あわれに思えば思うほど、非業の死をかざりはじめる。
いくら時がたったとしても、贖罪をはじめる。
かれには徳があり、あがめられるべき、すめらみことであったと。
やるかたなき、死であったと。

森林セラピー

 ▲現代人から、せいいっぱいの癒しをはりつけておきます。

七福神は、ほんとうに福をもたらしてくれるのか。わりとバイオレンスな神じゃないか。

七福神は、だいぶ謎である。
こういう神仏道教の習合したものは、だいたいポリシーが一貫していない。
たのしげに、ふくふくしく、ひとつの船におさまっているが、そりはあわなさそうである。
ことばも通じなさそうである。
どうしてあなたが。あなたの効能は、むしろなに。
七福神にしても、六歌仙にしても、チョイスがとても謎なのに、たいして追及もされず、あたかも万人の納得のもとで、信仰されている、冠されている。
両肩をもって、がくがくさせながら、それでいいのかと問い詰めたい。
それで、いいのである。
ほんとうはこの世など、いいかげんなのだ。
時間のながれなんて、伝統なんて、適当なのだ。
信仰なんて、とても厳密であるべきようなものが、この意味不明さ。
そんなものである。

 

そう、七福神である。
なぜ七福神について言い出したかというと、この話をしたいがためである。
元日の夜に、七福神ののった宝船をえがいた紙を、まくらの下におく。
そうして呪文をとなえる。
長き夜の遠の眠りの皆目覚め、波乗り船の音の良きかな
ながきよのとおのねむりのみなめざめ、なみのりふねのおとのよきかな。

これ、回文。かっこいい。
回文はどうしてこうも、魅惑的なんだろう。
おわりがない回文は、魔を寄せつけないらしい。
なので、肝試しのときに、しりとりをするのも効果的らしい。

この回文のかっこよさを書きたいだけの記事だったので、店じまいをしたいところ、文字数が足りないので、七福神の謎の出自について。

 

恵比寿。


イザナミ・イザナギの初子で、蛭子(ひるこ)という。
うまれてすぐ、葦の舟にのせて捨てられた。
唐突にひどい。
初子を意図的に死なせる、ということは示唆的である。
とはいえ、このために、海でうちあげられたものは、エビスとあがめられた。
たとえ土左衛門(水死体)であっても。
海からの渡来物は、すべてエビスだった。
万里の波濤のむこうから、たてまつるべき神が漂流してくるのである。
島国らしくて、晴れ晴れする。
そうしてエビスは、いつのまにか、鯛をもって、漁業の神として凱旋することになる。
七福神唯一の、日本由来の神である。
さらには、単品での縁日がある。
実は、神々のなかでは、稼ぎ高が、抜きんでている気がする。

▼縁起よさげなこのひと。

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 大黒天。


ヒンドゥー教のシヴァ神の化身。
本ブログは、むだにシヴァ神の登場確率が高い。
さあ、みんなで踊ろう。シヴァの踊りを。
▼踊るシヴァ神

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みなさまご存知、破壊と再生の神。
密教のまにまに渡来してきた。
天と名がつく時点で、軍神である。
天部は、さほど位は高くなく、剛腕でもって、ひとびとを悟りへ導く。
みんな、憤怒の顔をして、武器をふりまわし、餓鬼をふみつけている。
大黒天の顔は、その名のとおり、おおむね、黒。
もう少し強くいうと、死神に近い。
それがいつのまにか、でっぷりと太り、烏帽子までかぶって、金目のものをたらふくつめた袋を背負いだした。
えびすさんといい、いつのまにかすぎる。

▼潔いまでの、俗物感。

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毘沙門天。

四天王のひとり。とてもかっこいい。
戦闘神なので、天部はみんな凛々しいけれど、四天王は群をぬいている。
かの戦国武将、上杉謙信がことのほか愛し、家紋は「毘」だった。
▼どうでもいいけど、このフォントの微妙なクセがいつも気になる。

戦国武将 蒔絵シール 「上杉謙信 刀八毘沙門天 旗印 金 」

 片手で棍棒、もう一方で、ちっこい塔をもっている。
とはいえ、宝の山にお住いなので、歴とした福の神でもある。
▼きゃー!かっこいい!!

リボルテックタケヤ001EX 多聞天 木調版 ノンスケール ABS&PVC製 塗装済み アクションフィギュア

 

弁財天。

もとは、ヒンドゥー教のサラスヴァティー。
水神である。
そのうち、流れるものとして、弁舌や音楽も司るようになった。
とはいえ、呪詛神としての歴史のほうが長い。
北条政子は江ノ島弁才天に、呪詛の祈願をした。
はたしてそれは叶った。
奥州藤原氏、滅亡。
いまは、おだやかにほほえみながら、琵琶なんぞを抱いている。

▼サラスヴァティ―のほう。弁財天に似てる。めずらしく原型をとどめている。

サラスヴァティー弁才天(弁財天)彫像 知識と音楽、芸術の女神/ Saraswati - Hindu Goddess of Knowledge, Music & Art[輸入品

 

福禄寿・寿老人。

両方とも、道教の神で、南極星をあらわす。
しれっとでてくるけれど、北極星と違って、南極星といえるものはない。
このふたりは、同一人物ともいわれる。
死者のたましいを救う神である。
▼あたまよさそう。

縁起の置物 七福神 置物(特大) (福禄寿)

 

布袋。

なんと、実在の僧であった。布袋和尚、中国人。
ご利益は、謎。
神道、道教、ヒンドゥー教、仏教ときて、実在の人物をまぜてくる、この剛腕。
▼このフォルムが選抜理由ではないか。

布袋 七福神 サクラ御影石 彫刻 仏像 石仏

ここまできたところで、この統一感のなさ。
おそらく、共通するところは、現世利益系。
呪詛にせよ、即物的で、効き目が早いものは、それなりの対価を要求する。
必定、神としての位は低くなる。
王道はひとりもいない。
ただ、強い。
現世が苦しければ苦しいほど、庶民は、いまのしあわせを願った。
死後の平安なんて待てない。
極楽浄土なんて遠すぎる。
いますぐほしい。
そうして、バイオレンスな神々が集結するに至った。
こんな、おだやかそうな顔をして。

 ミニ七福神(大) S12-274

しずんだ甘すぎるチョコレートと、記憶のアメリカンドラム缶

歩いても歩いても、たどりつかない。
英語に飽和して、わたしのあたまは、もうなにも溶けない。
となりの姉は、読んだ地図どおりにいかなくて、自信をくだかれている。
ふたりで、ことば少なに、サンフランシスコをあるく。
もとは車社会なのだ。
歩いているひとなんて、ほんとうに見ない。
歩道なのかもわからない。この異国で。
スマホのGPSもうまく機能していない。
じっとみていると、いつのまにかワープしている。
信じてたのに。

飛行機と宿だけとって、姉とふたりで西海岸にきていた。
なにを思ったのか、どこにそんな自信があったのか、個人旅行だった。
それくらいの英語力があると、誤信していたのだろう。
体力を算段にいれていなかった。
思った以上になまりがきつく、早口で、あたまの上から、シャワーをあびせられながら、歩いているようだった。
髪もぐっしょり、肩口までぬれていて、したたりおちる水をぬぐわないと、眼に入ってしまう。
もう入ってしまっている。
なのに、眼そのものは、乾燥していて、あかく血管がういている。
言語を分解する、あたまのどこかの機能は、エラーランプが点滅している。

きのうの夜は、宿の近くで、ピザを買った。
あんまり疲れていたから、ベッドに倒れこみ、食べるころには冷えていた。
これぞ本場の、冷めたピザ。
小渕首相は、こんな味だったか。
はじめて報道で聞いたとき、だれかに聞いたのだった。ねえ、どういう意味?
いまなら、しみじみとよくわかる。
まずい。

あるいた先に、ようやっと行き着いた、ギラデリのファクトリー。
サンフランシスコで名の知れた、チョコレート工場である。
工場の見学ができるとガイドブックで読んだから、わざわざ向かったのに、もう見学なんてどうでもいい。
見学したいと伝えるほどには、折れたこころの修復は、間にあわなかった。
チョコレートだけ、あがなった。
パッケージは青く輝き、チョコは焼けつくように甘かった。

2日後。
日程をおえて、みたかんじは無事なままで、サンフランシスコ国際空港にたどりついた。
そこには、青く輝く、見覚えのあるパッケージ。
そうか、そうだよね。
名産品だから、そりゃ空港で買えるだろう。
ふたりで、てくてく歩いたあれは、いったいなんだったんだろう。
無力感は、やるかたなかった。
大学生の、なけなしの自尊心は、風のごとく沮喪していった。
10年後、流暢な語学力をもって再訪しよう。
それが雪辱だ。
そう思った。

 

そして10年後、姉が、アメリカみやげを寄こしてきた。
ハッとした。
不自然なほどに、青く輝くこのパッケージ。
一瞬で、記憶がかけめぐる。
にがにがしい、思い出の品だった。

なのに、姉は何ひとつおぼえていなかった。
冷めたピザを口に押しこみ、よろよろとスーツケースをひきずった。
そのなかで、てらてらと青く輝いてた、このパッケージを忘れるとは。

そうやって人は、にがい思い出を、葬っていくんだ。
なにもかもが、うまくいったような、横顔をして。
人生なんの失敗もしたことがないように、無垢な顔をして。
なかったことにされた思い出たちは、ドラム缶に密封されて、海の深くに沈んでいる。

とりいそぎ、姉のアメリカ缶は、折を見て、墓をあばいてさしあげようとこころに決めた。
ちなみにわたしの英語力は、そのときから一歩も進化していません。


▼なんと、Amazonでも買えた。

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シンデレラタイムをすぎてから使う魔法について

わたしたちが幼かったころ、祖父母はすぐ、あがなおうとした。
じっと見つめていたり、興味をもったものがあれば、すかさず言った。
「ほしいんか」
甘い声だった。
あわてて首をふる。
もの欲しげだったのかと、恥ずかしかった。
そんな卑しさを、だしてはいけない。
ものをほしがるのは、下の下だ。
そう思っていた。


祖父母は、どこかに連れていってくれるたびに、かならずなにかを買ってくれようとした。
おみやげを持ちかえらせないといけないと、思い決めていたかのようだった。
中学生のころ、デパートを祖母とあるいていたとき、流行りの映画のDVDが売られていた。
おどろいて足をとめて、この映画が好きだと嬉々として語ったら、祖母は無言で、かばんを漁った。
サイフがでてきた。
あわてて断った。
そのあと、デパートをでるまで、何回もたずねられた。
ほんとうにいらないのかと。
買ってもらったことがきょうだいに知れると、まずい。
それを言ったら、「だまっとけばええ」と、強くいう。
すこし不機嫌にもみえた。
どうしても購いたいらしい。
だまっていても、家でDVDをみていると、すぐみんなにばれる。
そう言うと、わかれぎわに、そのDVD代と同額をくれた。
「ちょっとずつつかったら、バレへんやろ」
5000円だった。
大金だった。


中学生になっていても、わたしはまだわからなかった。
たいしてほしくないものまで、なんでもかんでも買ってくれようとする。「どうや」といってくる。
あの、なんともいえない表情。
ほほえんでいるけれど、押しは弱そうで、こちらに選択肢をくれているようで、頑として自分のサイフをにぎっている。
ここから拠出したいという、決意の強さが浮いている。


このひとたちは、自分のサイフを、なんでこんなにかんたんに削るんだろう。
おかねはタダじゃないのに。
いまなら、わかる。
長じて、おとなになり、わたしは、めいっこに貢ぎものをする身分になった。
あきれるほど自明だった。
いまさら問うまでもない。
おとなにとっては些末な価額で、こどもは狂喜乱舞する。
文字どおり小躍りする。
よろこんでもらえるだけで、ひとはうれしいものだろう。
こんなたやすいことで、笑顔をみれるなら、じぶんもうれしい。


血脈につらなるものであれば、さらに追加がある。
じぶんに似た顔をして、じぶんに似た性格のちびが、欣喜雀躍している。
重なってみえるのだ。
自分自身のすがたに。
はっとした。
この子は、わたしかもしれない。
おさなかったわたしかもしれない。
と、同時に悟った。
祖父母は、おさな子に買い与えることで、自分が与えられなかった過去を、癒していたのかもしれない。
ほしがることもできなかった、戦時中の自分に与えているのだ。
戦時にささげられてしまった、自らの青春に。
花のさかりのはずであった、春を思った季節たちに。


ところで、戦時中でもないうまれのわたしにも、果たせなかったことがある。
おさないころわたしは、どちらかというと、少年だった。
かわいらしさを、持ちあわせていなかった。
その欲求はたえることなく、満たされることなく、おとなになるまで持ちこされた。


めいっこたちが、夢の国にいくというので、シンデレラのドレスを送りつけた。
あの国は、こどもだったら年中、コスプレができる。
姫や王子に着飾ったちびっこたちが、道ゆくひとたちに、笑顔で褒められている。
知らないひとたちに、かわいがられる。
パークをあるいているあいだは、正真正銘の姫でいられる。
ちびっこには、そういう思い出が必要だと思う。
こどもがこどもだというだけで、ふりそそがれる体験が。
無条件にうけられる、慈雨が。


ドレスは、めいっこに、とてもよろこばれた。
こぼれんばかりの笑顔で、写真におさまっている。
それをながめるのが、うれしくてたまらない。
シンデレラにドレスを送ったわたしこそが、実は魔法使いだったんじゃないか。
おとなとは、財力という魔法がつかえる生きものである。
彼女は、保育園から帰ったら、毎日ドレスに着がえているらしい。
エブリディプリンセス。
毎日がお姫さま。
保育園からかえったら、彼女に魔法がかかるのだ。


姫ぎみにはティアラがいるだろうと、また送った。
こんどは、週末の外出でつけはじめた。
写真をみたら、ワンピースにティアラをのっけている。
王冠を、ふだんづかいにするとは。
イギリス王室ですら、礼装用なのに。


王族グッズの顧客満足度がすぐれていたので、つぎはどのプリンセスにするかと、通販サイトをめぐりはじめた。
めいっこに、どの姫が好きかヒアリングする。
彼女は満面の笑みで答える。
「オラフ!」
それは雪だるまだ。


ほかに興味をうつしている彼女に、しつこく問いかける。
てきとうにあげているような気軽さで、答えがかえってくる。
「ベル!」
美女と野獣。よし、プリンセス。
ぐぐってみる。
うーん。
美女と野獣はすてきな物語だけれど、イエローのドレスはなかなかテカる。
肌うつりも、微妙にむつかしい気がする。
白磁の肌と、栗色の髪の対比がめざましく、おおきな栗の瞳が、星をうかべたようにまたたかないと、いけない気がする。
うん、却下。
本人の意向を、遠慮なく無視する。


姉に相談をもちかけた。
「ピーターパンとか好きだよ」
なるほど。夢のある選択だ。
再び、ぐぐる。
うーん。
ティンカーベルは、妖精の粉をふりまきながら飛ぶ。
ふるえるようにはためく、虹の羽も美しい。
でも、緑なのである。
グリーンのドレスは、蛍光色のようになってしまう。
しかも、妖精なだけあって、花びらをひっくりかえしたようなスカートになっている。
ちょっとボロっぽい。


ひとしきり吟味した。
うん、やはり、白雪姫がいい。
独断。ご要望に、おこたえしていない。
顧客満足度とはなんだったのか。
そんなものである。


白雪姫はいい。
ドレスだけですぐだれかわかるキャッチーさ。
白雪も黒髪なので、日本人幼女には、ちょうどいい。
りんごのほっぺの幼児が、フェイクりんごを持つと、きっとかわいい。
嬉々として毒りんごをもって歩く、こどもの無垢さ。
自分を仮死状態にさせる、毒だとも知らずに。
継母に愛されず、あろうことか暗殺されようとしているにもかかわらず。
まっかなリンゴを、無邪気にもちあるく、まっかで健康なくちもと。
すばらしい。
買って送っていいかと聞いたら、姉に止められた。
「まだシンデレラに夢中だから」


もはや、無条件にうけられる慈雨どころじゃない。
財力という魔法をもったおとなは、雲の上に顔をだして、じぶんの好きな紙ふぶきを、手でふらせている。
紙ふぶきはもちろん手づくりである。
リカちゃん人形のドレスセットを、いまごろ買っているだけのような気がしてきた。
でもいいのだ。
いいということにする。
祖父母だって、どうでもいいものまで、くれたじゃないか。
時勢をこえて、世代をこえて、脈々とつながっていくものが、きっとある。
果たせなかった思いは、継承されてゆくのだ。


おとぎ話のドレスは、生活必需品ではない。
保育園にも着ていけない。
安っぽいドレスなんて、なんの役にも立たない。
だから、あげたい。
ただほしいだけのものをくれるひととして、覚えられたい。
そういうひとが、彼女の人生にひとりいたことを、覚えておいてほしい。
毎日がお姫さまだったことを、忘れないでいてほしい。
彼女の魔法が、解けてしまった、そのあとでも。

 

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▲公式のティアラ、ラプンツェルがいちばんかわいい。

京セラドームの深夜貸切。4時間20万円。

終電にのって集合する、きわめてヘルシーな、夜あそび。


アリーナに駆けいったとき、野球好きたちが、はっと息をのんだ。
息をのんだだけなのに、みずみずしさがこちらまで広がってきた。
こころから羨ましかった。
強い思い入れが、すこしばかり叶うときの、あまったるい一瞬だった。


レフトを守っている野球選手を好きな子が、いちもくさんに駆けていった。
左手奥のあたりを、転げまわっている。
文字どおり、ごろごろ転がっている。
「このあたり、歩いてたよね!?さわってるよね?」と満面の笑顔をむけてくる。


それから、観客席の近くまで走っていく。
アリーナすぐ上の席を見あげた。
その席から、数日前に、応援していたらしい。
「ここなら顔まで見えるよね?見えてたってことだよね?」と前のめりにいう。
同意しか、もとめられていない。

元野球少年の草野球青年が、ベースからベースを走っている。
エアーで強打をうったらしい。
まわりが手をぐるぐる回して、「ぬけた!」「いける!」と、はやしたてている。
草野球青年は、ホームベースまでたどりついて、ランニングホームランを飾っていた。
まわりとハイタッチしている。
思い入れって、ほんとうにすばらしい。
かえりぎわに嘘泣きをしながら、土をかきあつめるふりまでしていた。
エアー甲子園。


ところで、わたしはごつい望遠レンズの一眼レフをもっていたので、「おい広報!」と呼ばれまわっていた。
エアー広報部。
900枚くらいとったので、深夜手当ください。
5時ぐらいに、召されるかと思った。ねむすぎて。

競争性と運命思考は、順位が逆にでるのではないかという仮説と、かりそめのゲーム。

競争性は、勝ちたい。
現実にめっぽう強い。
この現世において、目のまえのあのひとを、ぬきたい。
まっしろのテープを切りたい。
群をぬきたい。あたまひとつ飛びだしたい。
そんな競争性は、おとなげなく子どもにも勝ちにいく。
 
 
ということを、小学校の教師をしているともだちと、話していて思いだした。
さきごろの運動会で、6年生選抜vs教師のリレー対決をしたらしい。
6年生の走者は、厳密にタイムで選抜される。
前日までに、選抜メンバーと教師の名前が、おおきなディスプレイにならべて掲示され、否が応でもあおられる。
ハンディキャップはもちろんあって、教師は女性もふくめて2回走るひとも多いが、こどもは1回きり。
1年生から6年生まで、いちばんの盛りあがりでないかというくらい、わかりやすくみんな囃したてる。
校長も教頭も、髪をふりみだして、疾走する。
50代の教師が走れば、保護者席からの歓声が、ひときわさわがしい。
6年生と拮抗しているタイミングで教師がころんだり、バトンをとりおとしたりするので、アンカーまで目が離せない。
 
毎年、妙なるタイミングで教師がエラーをするので、シナリオじゃないかと、おおっぴらにささやかれもする。
自分がもっていない学年の子たちにまで、その1年間は、わざところんだのか、どうなのかと、声をかけられつづけるらしい。
それくらいの注目度をほこる、先生対抗の選抜リレー。
 
なんと今年は、ぶっちぎりで先生が勝った。
だれひとり、ころびもせず、バトンも落ちなかった。
第1走者の先生が、あきらかに速く、そのリードをさいごまで保ちつづけた。
走者は10人くらいいたが、あんまり余裕なので、声援もおとなしくなっていく。
波乱もなければ隆盛もなく、よろこびながらアンカーの先生がテープをひらめかせた。
観客のこどもたちからあふれる、ブーイング。
それをわかっていながら、飛びはねてよろこんでみせる先生たち。
 
後日のこどもたちの反応は、どうだったのか聞いたら、
「おとなげない」
のひとことだったらしい。
 
第一走者の先生は、いい笑顔でいう。
まだ半年ありますからね、クラス運営に効くんですよ。
このあたりでおさえておかないと。
こどもの第一走者が、クラスでいちばんやんちゃな奴だったので、負けるわけにはいかなかったんですよ。
 
なるほど。
威を示すことで、平らかになる小学生。生物的優位をもって平定する。
これぞ、競争性による平和。
パクス・キョウソウセイーナ。
競争性のピュアさ、単純明快さのよさは、こういうときにでるんだろう。
 
 
ところで、運命思考は、競争性に、首をひねる。
どうせ死ぬのに、どうして争えるんだろう。
むきになるんだろう。
運命思考は、きわまると、達観する。
もう一歩ふみこめば、厭世的になる。
ひとの一生は、風のまえの塵におなじ。
きまぐれな運命の女神のひとふきで溶けゆく、かよわい、ともしび。
わたしたちは、かりそめのゲームに、エントリされてしまっている。
挙手したわけでもないのに、生まれ落とされてしまった。
うまれたいと思ったわけでもないのに、強制的にエントリされてしまった。
どうやったら、競争性のように、無邪気におどることができるのだろう。

このあたりでハッとした。
そうか、これこそが、舞え舞えかたつむりだ。梁塵秘抄。

  遊びをせんとや生れけむ
  戯れせんとや生れけん

この世で、かりそめのゲームをするために、生まれてきた。
わたしたちは、うすのろのカタツムリ。
微々たる速さでしか進めない。なのに舞えと強いられる。

  舞え舞えかたつむり
  舞はぬものならば
  馬の子や牛の子に蹴させてん
  踏破せてん
  真に美しく舞うたらば
  華の園まで遊ばせん

それでも、この無茶なゲームで、美しくあれたら、華園にむかえられる。
わかっていながら、舞うほかないのだ。
舞わなければ、牛馬のごとき巨大な不運に、ふみつけられてしまう。
この世にうまれたものならば、まことに美しく舞えばいい。
平安末期らしい人生観のように思う。
 
 
6年生と先生の対抗リレーは、また3月の卒業まぎわに、再戦をするらしい。
さいごにリベンジしてみせよと、6年生を挑発するのだ。
こどもの競争性をたきつけて、のばそうとする。
そうやって、こどもは戯れながら、おとなに挑み、その思い出をかかえて、卒業の日をむかえる。

 

 
梁塵秘抄にふれた話はこちら↓

 

 でーんでんむーしむーし♬ かーたつむりー♬
「角だせ、やりだせ、あたまだせ」は、舞えというよりはむちゃぶりではなさげ。

 

ワンピース 電伝虫メジャー 白電伝虫

運命思考は、挙手したという記憶はないけれども、それをも受け容れる、という無敵モードもあると思います。

 

あらゆる快楽、あらゆる褒美、いかなる賛辞にもかなえられない、最後の果実。

わたしは、ひとつの愚を犯しました。
いえ、現在進行形です。
犯しつづけております。
この世における万能感。そう、わたしはなんでもできる。
ベッドの上で、天井を見あげながら、この世が手に入る。
この耳をつんざき、とどろき、ふるえあがらせる、すさまじい歓喜。おそるべき御業。
あらゆる快楽、あらゆる褒美、いかなる賛辞にもかなえられない、最後の果実。恍惚の瞬間。
だめだだめだと思いつつ、寝なきゃ寝なきゃと思いつつ、夜を徹してキンドルにかじりつくあの時間の、なんと目のくらむこと。
旅行にいくより、ひとと語らうより、おかねもらうより、この世のありとあらゆる、こころくすぐる瞬間のすべてを抜き去る、問答無用の完結した時間。
 
 
何か月かに一度、訪問者がやってくる。
今日のためにいままで生きていたとしても、それでかまわないと思わせしめるものが。
この日のためにいままでの人生があったのだと、疑いようのない確信をいだかせるものが。
信じているのではない、知っているのだ。
そしてそれはいずれも、本であった。
本がわたしをおとなう。ひかえめにノックしながら。
 
そう、すべてが手に入るのだ。
欠けたることのない、まったき心地。
望月。道長。全能感。
徹夜してまで本を読む情熱さえあれば、わたしは生きていける。何があろうとも。
そしてその瞬間のために、これからも生きるのだ。
気の遠くなるほどの時間を。
なにもせぬままであれば、長すぎる、この浮き世を。


と、いいつつ、あすは、おのれの愚を呪うのです。
はよ寝ればよかったと。わかってる。
小学生のみぎりから何度も犯し、何度も悔い、大学生のころに、そろそろやめねばと思った愚行が、なんと甘美なことか。
むしろそれのない道ゆきが、なんと広漠たる砂の道であったか。
今後とも、愚行に邁進しようと思った次第です。
できれば日中に。
どこかひとけのないところにこもって。
よかった、おとなの分別がでてきた。
 
 
そろそろ夜が明けてまいりました。
富士山にのぼってご来光をみてから、休日をたのしんだということにしよう。
そうだ、わたしにとってはご来光はミジンコだ。
書による徹夜のほうが尊いのだ。

 

そろそろ、おやすみなさい。みなさまよい夢を。

 

 

さあ君も、夜を徹して書を読もう!それが道長への第一歩だ!!

学研まんが人物日本史 藤原道長 藤原氏の全盛

 

乙女心と秋の空と、ハンプティと夏の空。

切なさ向上委員会のみなさま、こんばんは。
そうでないみなさま、だんだん委員になりたくなってきたところではないでしょうか。
入会金0円。会費も0円。来るもの拒まず、去るもの追わず。
会員同士で、ひとくさりの置きてがみを。
もちろん手書きです。肉筆です。B2あたりでいきましょう。消しゴムで消したあとがあると、なおいいです。
秋はメランコリックです。
ということを、わたしは毎年毎年毎年毎年毎年いっています。
感傷には、食傷しています。
にもかかわらず、毎年、秋がおとなうのです。
その谷底にひとりでいるのは切ないので、みなさまを追い落とそうとしています。

知らないだれかが、つめたい手でふと、腕をつかんで去っていくような感覚。
ふりかえると、だれかはわからない。
顔もみえない。
少しほほえんでいたような気もする。弓なりのうすい唇。もどってくる気はないのがわかる。
秋ひとときの旅人は、手ごたえのない、情のうすさをのこして去ってゆく。


思い返せば、今年の夏は暑かった。
水蒸気で飽和されたような、息苦しさ。
炭鉱のカンテラに焦がされたような、熱波。
アスファルトが飴になりそうな、熱線。
ハンプティダンプティの歌が、あたまに響いてくる。

たまごは、もとにもどらない。
たまごは、もとにもどらない。
めだま焼きは、生たまごには、もどらない。
タンパク質のわたしたちは、煮卵になるのではないか。
この生体が、特にだいじな脳が、膜をはって白くなるのではないか。
脳みそをうかべている髄液あたりが、まっしろに凝固したりしないか。
そこに固定される、ふっくら黄身のようにかたまる大脳。
煮卵になると、もとにもどらないのではないか。
あたまのなかで響くマザーグースが、かろやかに歌をしめる。
Couldn't put Humpty together again ♬
(ハンプティはもとにはもどらない)
この歌詞の流れで、togetherをチョイスする感覚がもうこわい。
しかし、ハンプティは不可逆なのだ。
まずい、脳みそが、黄身になってしまう。


やや真剣にそんな心配をするあたり、だいぶ茹っている。
でも、いかに茹でてこようと、夏は、情にあつかった。


夏は、夏がいつまでも続くものだと、錯覚させてくれる空をしている。
ドラマティカルなところはすこしもなく、安穏と雲が浮いている。
ぽかりとういた雲は、陰影もうすい。あまり流れない。
肌にそそぐ温度も、ほとんど落ちない。
陽がかたむこうと、夜空がまたたこうと、夏は夏でありつづける。
朝な夕なに、夏は、不変という平穏をあたえてくれる。
けさも、セミがけたたましい。
昼下がりは、延々と下がりつづける。
スイカはいつもあまい。
きょうも、白のぎりぎりまでかぶりつく。
たいした風もわたらないのに、風鈴だけが涼しそうにしている。
 
夏は、あたかも隣人のように、あたりまえにそこにいた。
いつのまにか、すだれをかけ、茣蓙をしき、かき氷を食べながら、扇風機のまえを陣どっていた。
かき氷の蜜だけをのこして去った。
あの隙だらけの光景を、愛してやまない。

 

Humpty Dumpty sat on a wall
Humpty Dumpty had a great fall.
All the king's horses and all the king's men
Couldn't put Humpty together again.

セトクラフト アリス ソーラーライト ハンプティダンプティ SR-0763

 王様がどうやったってどうにもできない♬
という部分は、当時の政治状況への風刺なのかな。となると、あやうい壁を歩いている卵は、だれだったんだろう。日本の童謡は、普遍的なかなしみをふらせてくるけど、英国はピンポイントに山椒をきかせてきますね。マスタードといったほうがいいのか。わたしはハンプティの話をしたかったのか、切なさ向上委員会の話をしたかったのか、夏の話をしたかったのか。中途半端な例をお届けします。

 

金襴緞子の帯しめながら、花嫁御寮はなぜ泣くのか。

読んでいた本に、竹久夢二の詩、「宵待草」がでてきた。
ははあ。もうそれだけで染みてくる、きざし。はたして予感は的中した。だよね、わかってる。
もちろん旋律を聞きたくなって、宵待草を流した。

  待てど暮らせど、来ぬ人を
  宵待草のやるせなさ
  今宵は月も出ぬそうな

この「まーてーど、くらせーどー」の、元も子もない感じがとてもいい。
剛速球を投げつけて、破壊せしめる。こっぱみじん。命中しないはずがない。
しかたないので、ろばたに咲く花のほうの待宵草の、気のぬけたオレンジでもながめる。
ヨイマチと、マツヨイをひっくりかえしたのは、夢二のやりかたで、ほんとうにあるのはマツヨイクサ。
いいぐあいになぐさめられる。のどかな柿色。
そう、月もでない、月明かりもない、この歌のなぐさめにはちょうどいい。

この歌のせいで、せつない童謡を聞きたおすはめになった。
そのなかで、蕗谷虹児の「花嫁人形」がひっかかった。

  金襴緞子の 帯しめながら
  花嫁御寮は 何故泣くのだろ

花嫁御寮とは、親しみをこめた呼び名である。花嫁さん。
ひきつづき2番の歌詞でも、花嫁さんは泣いている。

  文金島田に 髪結いながら
  花嫁御寮は 何故泣くのだろ

こたえは書いてない。
回答なしのやりかたは、わらべ歌には、数限りなくある。
しゃぼん玉は、飛ばずに消えるのだ。
飛ばずに消えたしゃぼん玉は、なにを意味しているのか。
こどもは無邪気に、なにもわからないまま歌う。
その無垢な声に洗われたいがために、重い意味を背負わせている気さえする。
この花嫁人形もそのたぐいだろう。
予感がひしひしとする。

3番で、唐突に花嫁人形がでてくる。
人形と、現実の、花嫁さん。花嫁はふたりでてくる。
3・4・5番目は、もう人形のことしか歌っていない。

  あねさんごっこの花嫁人形は、赤い鹿の子の振袖着てる
  泣けば鹿の子の袂が切れる、涙で鹿の子の赤い紅にじむ
  泣くに泣かれぬ花嫁人形は、赤い鹿の子の千代紙衣装

どういうことだろう。
ぼんやりと考えた。ひとの花嫁と、人形の花嫁。
人形は人形だから泣けないけれど、ほんとうは泣きたい。
泣いてしまうと、紙でできた袂がよごれるからしない。
日本人形はときおりみるけれど、花嫁衣裳をまとっている人形はそうはみない。
そういえば、どこかで見たことがある。
どこだろう。
あれは加護島だった。またの名を、鹿児島。
特攻記念館で、捧げられた花嫁人形を見かけた。
未婚のままむなしくなった、年若い男性の供養に、置かれていた。
そなえられたひとがいれば、そなえたひとがいる。
はたちやそこらの息子をうしなった、父母だろう。
どんな気持ちで、ことさら美しくあつらえたのか。
想像すると、記憶を灼いてくるものがある。
美しく飾りたてられればたてられるほど、こころのなかに占める、その人形の空間をひろげるようにと、せまってくる。こころの棚に、見知らぬ人形が居座りつづける。

歌のなかでは、「花嫁御寮」と「花嫁人形」のふたつが泣いている。

金襴緞子の帯しめながら、人間の花嫁さんが、しくしく泣いている。
花嫁衣装に身をつつみ、くれないの目もとから、涙を流している。

そう、ほんとうは花嫁御寮は、嫁ぐあてがあった。
想い人が、ほかにいたのだった。
ふたり約したのだ。
ともにあゆもう。
かれは出征し、はたしてもどってはこなかった。
海の藻屑と消えたか、しゃれこうべを密林にさらしたか。
赤い鹿の子の花嫁人形が、いま、亡き婚約者に捧げられている。
とむらいのために。

人形だけは、亡き恋人に嫁ぐことができた。
花嫁御寮は、あたらしいひとと歩む。
人形だけは約婚のひとに、ようやく添えた、よろこびに泣く。
遂げられなかった御寮は、ひそかに、いたみの涙をこぼす。


中央大の予科生には、約婚のひとがいた。
あやしくも美しく、桜の散りはてるなか、わかれを告げた。
ながれながれて、名も知らぬ遠き島から、故郷を思う。
帰るあてなどどこにもないのに、狂おしくこの身が曳かれてゆく。
学友を思い、恋人を思う。
いくたび月がのぼり、いくたび夜があけただろう。
どうしてだろうか、夢うつつに浮かぶ恋人は、赤い鹿の子の振袖をまとっている。
金襴緞子の帯をしめながら、涙をこぼしている。
花嫁御寮は、こちらをみない。
ただ、横顔に、この世のものとは思えないほどの、隔絶の美があった。
朱鷺いろのまなじりが、このうえなく美しい。
夢みるように、美しい。
今宵、月はのぼらない。

 

ルーペで見ると、この絵はたしかに泣いているそうです。

新装版 蕗谷虹児 (らんぷの本)

 

 

この話は、ほんとうは故郷なんてどこにもないんだとわかっているのに、どこかへ強烈に曳いていく、わびしさもない、つらさも息苦しさもない、透きとおった感情だけがあるような音色。 - ふみのや ときわ堂

花のようなる秀頼さまを、鬼のようなる真田がつれて。 - ふみのや ときわ堂

悲しむなかれ、我が友よ。旅の衣をととのえよ。 - ふみのや ときわ堂
と続いていました。