乙女心と秋の空と、ハンプティと夏の空。
切なさ向上委員会のみなさま、こんばんは。
そうでないみなさま、だんだん委員になりたくなってきたところではないでしょうか。
入会金0円。会費も0円。来るもの拒まず、去るもの追わず。
会員同士で、ひとくさりの置きてがみを。
もちろん手書きです。肉筆です。B2あたりでいきましょう。消しゴムで消したあとがあると、なおいいです。
秋はメランコリックです。
ということを、わたしは毎年毎年毎年毎年毎年いっています。
感傷には、食傷しています。
にもかかわらず、毎年、秋がおとなうのです。
その谷底にひとりでいるのは切ないので、みなさまを追い落とそうとしています。
知らないだれかが、つめたい手でふと、腕をつかんで去っていくような感覚。
ふりかえると、だれかはわからない。
顔もみえない。
少しほほえんでいたような気もする。弓なりのうすい唇。もどってくる気はないのがわかる。
秋ひとときの旅人は、手ごたえのない、情のうすさをのこして去ってゆく。
思い返せば、今年の夏は暑かった。
水蒸気で飽和されたような、息苦しさ。
炭鉱のカンテラに焦がされたような、熱波。
アスファルトが飴になりそうな、熱線。
ハンプティダンプティの歌が、あたまに響いてくる。
たまごは、もとにもどらない。
たまごは、もとにもどらない。
めだま焼きは、生たまごには、もどらない。
タンパク質のわたしたちは、煮卵になるのではないか。
この生体が、特にだいじな脳が、膜をはって白くなるのではないか。
脳みそをうかべている髄液あたりが、まっしろに凝固したりしないか。
そこに固定される、ふっくら黄身のようにかたまる大脳。
煮卵になると、もとにもどらないのではないか。
あたまのなかで響くマザーグースが、かろやかに歌をしめる。
Couldn't put Humpty together again ♬
(ハンプティはもとにはもどらない)
この歌詞の流れで、togetherをチョイスする感覚がもうこわい。
しかし、ハンプティは不可逆なのだ。
まずい、脳みそが、黄身になってしまう。
やや真剣にそんな心配をするあたり、だいぶ茹っている。
でも、いかに茹でてこようと、夏は、情にあつかった。
夏は、夏がいつまでも続くものだと、錯覚させてくれる空をしている。
ドラマティカルなところはすこしもなく、安穏と雲が浮いている。
ぽかりとういた雲は、陰影もうすい。あまり流れない。
肌にそそぐ温度も、ほとんど落ちない。
陽がかたむこうと、夜空がまたたこうと、夏は夏でありつづける。
朝な夕なに、夏は、不変という平穏をあたえてくれる。
けさも、セミがけたたましい。
昼下がりは、延々と下がりつづける。
スイカはいつもあまい。
きょうも、白のぎりぎりまでかぶりつく。
たいした風もわたらないのに、風鈴だけが涼しそうにしている。
夏は、あたかも隣人のように、あたりまえにそこにいた。
いつのまにか、すだれをかけ、茣蓙をしき、かき氷を食べながら、扇風機のまえを陣どっていた。
かき氷の蜜だけをのこして去った。
あの隙だらけの光景を、愛してやまない。
Humpty Dumpty sat on a wall
Humpty Dumpty had a great fall.
All the king's horses and all the king's men
Couldn't put Humpty together again.王様がどうやったってどうにもできない♬
という部分は、当時の政治状況への風刺なのかな。となると、あやうい壁を歩いている卵は、だれだったんだろう。日本の童謡は、普遍的なかなしみをふらせてくるけど、英国はピンポイントに山椒をきかせてきますね。マスタードといったほうがいいのか。わたしはハンプティの話をしたかったのか、切なさ向上委員会の話をしたかったのか、夏の話をしたかったのか。中途半端な例をお届けします。