たたるほど、皇位が近づき、業苦であるほど、たたえられる早良親王。
先日、八所御霊神社でまつられていた、吉備大臣。
つまりは吉備真備。
▼この記事
このひとは、どうして、たたるひとたちに加えられているのか。
どう考えても、徳川家康的な人生を送っている。
そもそも、御霊メンバーがすごすぎるのだ。
このメンバーにどうして、真備が。
その違和感を説明するために、ここで八柱を、おさらいします。
崇道天皇 憤死
伊豫親王 自害
藤原吉子 自害
橘逸勢 流罪
文屋宮田麻呂 流罪
藤原広嗣 刑死
吉備大臣 謎
火雷神:人ばかりだとまずいので、神様をドッキング(よくある)
このなかでも、抜群に御霊であるひとがいる。
崇道天皇。またの名を、早良親王。
桓武天皇の弟宮だったが、渡来人の母の身分の低さから、皇統のあらそいをさけるために、幼くして出家させられた。
こういうことは、よくあった。
ものすごくよくあった。
法親王、入道親王などと呼ばれる。
かれら貴人のみを、住職にむかえる寺があるほどである。
宮門跡、親王門跡という。
▼徒然草52段、「仁和寺の法師」の仁和寺も、親王門跡。
出家することになった時点で、この世の栄達とは、おわかれである。
だれかを娶ることもない。
子もない。
読経があるだけだ。
兄宮はすべてを手にいれているのに、弟宮の自分は、すべてを棄てさせられている。
よくあることだ。
悲しがることもない。
なにせ、母方のうしろ盾がないのだから。
しかたがない、うまれおちたときから運命づけられている。
貴種にうまれるという時点で、政争からは、のがれられない。
陽の光が強ければ、かげも濃くおちるだけだ。
御位というのは、あまねくこの国いちばんの光である。
たいらかな御代のために、この身を捧げるだけである。
食い詰めもしない。じゅうぶんだろう。
幼かったから、そういうものだと言い聞かせられた。
ただ、還俗という手段は、のこされていた。
お金をつめばかんたんにできる。
30歳をこえたころ。
兄宮の桓武が即位するにあたり、かれは、還俗することになった。
兄の嫡子は、おさなかった。
そのつなぎだった。わかってはいた。
立太子。
東宮になった。
ここで、人生に、急に光がさしはじめる。
中継ぎとはいえ、日嗣の皇子だ。
さびしい暮らしをしていた身に、訪れた春の光はまぶしかった。
しかし、一転、4年後。
藤原種継の陰謀に連座したとされ、廃太子される。
かれは無実を訴え、絶食。
憤りのあまり亡くなった。憤死とされる。
死因は、餓死。
かれはなにを思って、かつえたのか。
それとも、食べものが与えられなかったのか。
餓死はなかなか苦しい死因のひとつで、密教の修行のうちに、即身成仏というものがあるほどである。
一朝一夕には死なない。
徐々に徐々に、体力が削られてゆく。
砂時計の速さで、いのちの陽がおちてゆく。
みずから食を断ち、みずからの意思で成仏していく、すさまじい行である。
高僧がえらぶ、最期の修行。
さほどに餓死は、苛烈である。
▼即身成仏のようす
親王はなにを思ったのか。
あまりに有名な恨み文をのこしている。
東宮の位にあったひとが、天をのろい、皇位をのろった。
かつえて、苦しみ、世を去った。
そしてその後、朝廷を次々と凶事が襲った。
ひとびとはうわさする。
東宮のたたりであると。
そうやって、即位の事実はないものの、諡号があった。
祟道天皇。
だいたい、天皇になっていないのに、天皇の名を冠するというのは、もはや慰撫しかない。
名誉をもって、押し戴き、たましいをしずめるのだ。
すめらみことの御位にあったという、ほまれを捧げる。
最上級の礼をもって、讃える。
ちなみに、日本三大怨霊のひとり、崇徳天皇はまた別人である。
「祟道」や「祟徳」は、天皇の死後におくられるものなので、本人がそうと決めたわけではない。
わかりやすく、たたりなんてつけていいのか、逆にたたらないのか謎だが、「あがめる」と読むのだろう。
▼崇徳天皇、こわい。
さらに脱線するが、あの聖徳太子も諡号である。
本人は不本意な死をむかえてはいないが、子孫が根絶やしにされている。
わりとひどい。
15人近く、全滅させられた。
高貴なひとが謀殺されると、おおむね、たたる。
だいたい無実だからである。
徳があったのだから、たたらなかったのか、徳があったから、たたらないでほしいと、願われたのか。
崇徳にも聖徳にも、徳がついている。
かつて貴い血は、犠牲をもとめた。
早良親王も、東宮にさえならなければ。
ひのき舞台に、押し出されなければ。
権力に、翻弄されなければ。
千年ののちまで、たたることも、なかったのに。
いや、もしかしたら、もうたたることもないのかもしれない。
たたってはいなかったのかもしれない。
災害なんて偶然だ。
なのに、死後にまで悪名をとどろかせた。
貴種の死は、無実であった。
生者は、後ろめたければ、後ろめたいほど、あわれに思えば思うほど、非業の死をかざりはじめる。
いくら時がたったとしても、贖罪をはじめる。
かれには徳があり、あがめられるべき、すめらみことであったと。
やるかたなき、死であったと。
▲現代人から、せいいっぱいの癒しをはりつけておきます。