ふみのや ときわ堂

季感と哀歓、歴史と名残りの雑記帳

高野山のふるい登山道で森林浴をしたら、天狗風を見た。

高野山の奥の院より奥、ひとけのまったくない登山道のはずれで、人間が転がっている。
ぴくりとも動かない。
拝観してランチをしたあと、思い思いの場所に散らばった。
それぞれ大きなレジャーシートをひろげた。
そこで寝転がったのだった。
まっぴるまから、道に。

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近くのふたりは、ねむっているようだった。
下草が高いから、すこし離れたところにいるふたりは見えないけれど、人体がうごかない。

カメラ好きのひとりが、静かにとなりの道をあるいていく。
大きなカメラを首からさげて、笑顔で手をふっている。
こちらも声はださない。みんなねむっているから。

あたりを見る。鳥の声がする。
クルクルと、きっぱりとした高音がする。
右手だろうか。
仰ぎみるスギ林に、すがたはみえない。
応じるように、より細い声がする。左手奥。
全身を耳のようにする。ここちよい音しかしない。

冴え冴えと、聴覚に集中する。
音の遠近から、位置がわかるだろうか。
人工音のなかではしようともしないことを、試みる。
あたまのなかで、半径円をえがいて、鳥をスポットする。
せせらぐ音がしている。
この音は、川なのか、滝に近いのか。
何本あるんだろう。2本…いや3本か。
くだけて、ころげおちていく。
小さい音は、より段差がすくないのだろう。せせらぐ音に近い。
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ときおり、虫が旋回していく音がする。
ひとに興味のない虫なのか、回遊してとおりすぎていく。

てのひらでひとまわりするくらいの太さの倒木が、間近にあった。
まだらに苔が覆ってある。
塗りこんであるわけでも、置いてあるわけでもない。
倒木を隠すように。とりこむように。のみこんでいくように。
下草の高さのぶんだけ、この木はさらされている。

ごくりと喉を鳴らす。かわいているんだろうか。ペットボトルをあける。

つぶつぶ入りのオレンジジュースが、けた外れにおいしい。
声をあげてしまいそうなほど、人体にしみいった。
むさぼるようにのんだ。
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轟、と、うなる音が遠くからした。
正体はわからない。

目を細めた。
天高く、視野ぎりぎりの針葉樹が、乱暴にゆれだした。
横に大きくゆれている。
轟音がする。ざわめきとはいえない。
なんだろう。
おどろくほどのろのろと、近づいてくる。
しかと目で追えるくらい、いぶかしむ間があるくらい。

はたと思う。風は、こんなに遅いだろうか。
飛行機は、こんなにゆらすだろうか。
小鳥たちのはやさでも、狩りをする動物のはやさでもない。
けっして速くは走れない、ゾウのような。
よばれるように、針葉樹のゆれが近づいてくる。

低木がよばれ、下草がよばれ、シートがめくれた。
目で追っていると、日傘が1メートルほど飛んでいった。
いまのはなんだったんだろう。
ひと風、とおりすぎていった。
風とは、こういうものだったか。
しかと目で見える遅さで、木の葉をかきわけ、進んでくる。

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ふと、ひとけがあった。
巡回なのか、さんぽなのか、撮影なのか、カメラマンの友人がまた通過していった。
無言に笑顔で、手をふった。

レジャーシートの下は、木っ端や岩が、ふぞろいにうまっている。
寝転がると、人体のあちこちに接触する。

ときは14時、丈高い木々に隠れているために、直射日光にあたらない。
でも、めざましくあかるい。
にもかかわらず、とどめおけない眠気がしみてくる。

次の瞬間、1時間が経っていた。
ねむってしまっていたようだった。
からだが冷えこんでいる。
友人と思われるかたまりは、微動だにしていない。
もうひとりが手に延べている、スマホのスクリーンが光った。

起きあがっていま、この文章を打っている。
キーボードを打つ手は白く、指さきはつめたい。
14時から15時になっただけで、こうも温度がさがるのか。

 

しばらくすると、広葉樹のほうに散っていったらしい、ふたりが、連れられ合流してきた。
みんな起きて、レジャーシートのうえで、雑談した。
あっという間に、17時前になってしまっていた。
この現代において、だれの電波もなかったので、アナログな約束をしていたのだった。
車をおいたところに、17時。

そう、ひとりがいないのだ。
だれもが首をふる。見かけなかったと。
すこし急ぎながら出口近くにむかうと、遠くでだれかが手をふっている。
神隠し疑惑だった、そのひとだった。
3時間ものあいだ、目撃証言ひとつなかったのに、登山道をかけあがり、ぜんぜんゆるくない登山をしていたらしい。ひとりで。

このあとみんなでカレーをたべて、名高い夕陽スポットで写真をとって、だれもいないケーブルカーで下山した。
朝よりも帰りのほうが元気になっているという、得難い経験だった。
高野山の癒しのパワーすごい。
おきていられず、おとなが、ガチで寝た。
外で。まっぴるまに。

あの、おそるべき遅さの風は、なんだったんだろう。まだねむっては、なかったはずなのに。
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