ふみのや ときわ堂

季感と哀歓、歴史と名残りの雑記帳

アンコールワット記1:シェムリアップ空港とクメール王朝ディナー

恥ずかしながら、アジア史にあかるくない。
アジア自体、ほぼいったことがない。
東南アジアは、しごとで一度、インドネシアにいった。
朝5時から、街なかになりひびくコーランの大音声に、心底たまげた。
おそろしすぎるトイレ事情に、カルチャーショックをうけた。
トイレとコーラン。
このふたつを語りだすと、1万字くらいはほしい。
文明が違うということはこういうことか、と、脳天に金ダライを直撃させられたような衝撃だった。
トイレ、それは深淵なる真理。

▲1030関空→1330ハノイ(ベトナム航空)。1505ハノイ→1655シェムリアップ(ベトナム空港)

 

というアジアンメモリーをいだいて、搭乗。

なんといったって、トランジットがこわい。
イミグレーションもこわい。
よくひっかかる。
直近で、入国審査で、別室おくりに2回あった。
X線検査は、3分の2の確率でひっかかる。
今回は、現地まで、母とふたりでたどりつかねばいけない。
旅先ではおかねをもった中学生に豹変する母。
両肩にのしかかる責任。気がぬけない。

 

ところで、まえにカナダの入国審査でひっかかったのは、所持金のケタをひとつまちがえたという、はずかしすぎる原因だった。
札束をかかえて、国境を突破するところだった。
はずかしすぎるので、今回はおこたりなくやりたい。

 

ベトナム航空の体内で、入国カードの説明を、たんねんに読む。
アンドロイド版kindle内の、地球の歩き方を熟読する。
自席のちっこいライトをつけて、ありったけの集中力を注ぎこむ。

▲機内食。カマボコにあとから味をつけたような、奥ゆかしさ。
時間が中途半端だったので、機内食があるかどうかしらべまくったんだけれど、よくわからなかった。機内食、あります。

 

▲「君の名は」の画面。
すべての懸案事項をクリアしたら、することなくなった。
懸案事項!
この気負い。
その闘志をいだいたまま、全映画の説明を熟読する。
が、日本語訳がてきとうすぎる。
映画「君の名は」の説明がこちら。
「2人の見知らぬ人がどこかでつながっていると感じます。つながりができたら、距離だけが彼らを引き離せておけるのでしょうか?」
すごい。
まったくこころ惹かれない。
意味はなんとなくわかっても、感情をゆさぶりにこない。
勉強になります。
till death do us part だって、「死がふたりをわかつまで」と訳してはじめて、おなかに響く。

 

とはいえ、この監督の背景描写、おそろしく好き。
みなさまぜひ「言の葉の庭」をみてください。
45分です。みじかい。その8割で、雨がふってます。
都会にふる雨の美しさ。はちみつを脳にたらされるような甘美。
梅雨の長雨を、傘のなかから見あげるたびに、この映画を思い出します。

 

場面はもどって、シェムリアップ空港へ。
入国審査も手荷物検査も、なにもなく通過できた。ほ。
たぶんテロに警戒した欧米圏が、きびしかっただけのよう。
出入国管理官も、のんびりハンコをおしている。
あぶりだす覇気がない。
目端がまったくきいてない。
かるい緊張感と、謹厳そうな圧がない。
ハンコ押すひとと化している。
こちらもあんまりみていない。
ハンコを押す手さばきも、やたらと緩慢。
だからめっちゃ混んでいる。
地球の歩き方に書いてあった、指紋採取も、顔写真撮影もなかった。
装置はおいてあったけれど、つかっていなかった。平和でいいな、アジア。

 

空港をでたら、紙にカタカナで名前を書いているカンボジア人がいた。
まちがえようがない。ほ。
ガイドさんと合流できた。
案内された車は、きらめくトヨタのセダン。
年若いドライバーさんが、うやうやしくドアをあける。
助手席についたガイドさんがいう。
「そう、プライベートツアー」
「最終日までだれもこない」
20代くらいのカンボジア人ドライバーと、40手前くらいのカンボジア人ガイドさんと、わたしと母の4人。
これで4泊5日。全行程。
まじでか!
きつくないか!
この4人で!

 

わたしのなかの社交家が、飛行機酔いで死にかけているのに、なめらかに世間話をくりだし、ほがらかにあいづちをうち、セダンの雰囲気をあっためる。
ガイドさんが、観光地でもないのに、早速ガイドをはじめる。
「6つしかない信号のひとつがこのさきにありマス。はい、これが信号デス!」。
信号の紹介された!

つづいて、
「この橋は韓国がつくってくれたネ」
「これは中国が」
「これは日本が」
ガイドさんは、各国への謝辞をならべたてる。
めんくらう。
そ、そうか。
外国の援助がまだはいってるんだ。
目のまえにテロップが流れる。
――政府開発援助 ODA!!!
どこかで習ったやつ、実物をはじめてみた。

 

セダンは、なめらかにどこか高級ホテルのレストランへすべりこむ。

▲クメール王朝ディナー 
ディナーは、5つ星ホテルのレストラン。
すさまじく空いていた。
ついた時点で、わたしたちしかいなかった。
集客を心配して、母がガイドさんを、金曜日の夜なのにと、問い詰めている。
ガイドさんは、あんまり気にしないたちらしく、「多いときは多いデスヨ」といっている。
3ドルのエビアンボトルと、3ドルの地ビールを注文すると、ガイドさんが水の高さに恐縮している。
500mlのエビアンが330円。
高いけれど、まあ高地だったりするとそんなものかなぁと思っていると、国民の半数が、1日2ドル以下で生活しているらしい。
それより高いエビアン。
これには打たれた。

 

▲レストランからみえる中庭

緋鯉のようなものがおよいでいる池に、夕陽がおちてゆく。
それをガラス越しにみる席に、わたしたちふたりしかいない。
かたことの英語でサーブしては、ほのかにほほえんで去っていく。
東南アジアでも、フランスの支配下にあったところはおいしいんだと、母がよろこんでる。
はなやかで、西洋風で、味つけはつつましやかだった。
でも、あとひく飛行機酔いのために、がんがん残す。
3ドルのエビアンを、がぶがぶのむ。
王朝の食事に手をつけず、おざなりにしながら、謎の高級水ばかりあおる。
ああ、これはあれだ、と思いあたった。
幕末期の日本を訪れた、欧米の商人の子女。
わりと失礼なほう。
明治期の日本のような岐路にたちながら、この国も、二の舞になりゆく気配が、とてもした。
おなじものを失いつつ国に、わびしさめいたものがよぎる。
中庭には、マゼンダの斜陽がこめていた。

 

大学のころのともだちから、「今日飲むんだけど、こない?」とラインが入っていたので、「いまカンボジアで夕陽をみてる」と、写真を返した。

 

ディナー後、時間になってもガイドさんがあらわれない。
レストランのたてものを出てすぐの、待合スポットで、待ちぼうける。
治安のあやしい異国の夕まぐれ。
ついたばかりで、おっちゃんがぜんぶ不審者にみえる。
残照は去り、墨をながしたように暗い。
とまるホテルが近いのかすら、わからない。
ここは、英語が通じるんだけど、わたしに英語が通じない。
だんだん会いたてのガイドさんの顔があやふやになってくる。
おっちゃんはぜんぶいっしょにみえる。
あの人?
トゥクトゥクのおっちゃんが、たまに客引きしてくる。
目があって、近づいてくる。
手招きしてくる。なんかいってる。こわい。
のんびりと母が、サイフをだして紙幣を数えだした。
な、なにをしているんだ母よ。
あわてて止める。
30分経過。
ガイドさんが、ふとあられた。
ちょっと離れたところでスマホゲームをしていたらしい。
まじでか。 


ホテルに到着。
ちゃんとカギがしまりそうで、シャワーもお湯がでて、ベッドメイクも美しかった。ほっとする。
さっきの飲み会のともだちから、ライン通話が鳴った。
いま22時。時差は2時間だから、日本は24時。
もう遅いだろうに。終電のがしてないか。
そうか、きょうは金曜の夜か。
「朝陽、ちゃんと行けよ。サボるなよ」と、口々にいわれた。

 

そう、あしたはアンコールワットにのぼる朝陽をみるために、朝5時半時集合。
まだ明け染めぬ、払暁にたずねる世界遺産は、さぞすばらしいものに違いない。
つづく。

 

 

 ▼kindle版の地球の歩き方。これをスマホのkindleアプリに落としておくと、地図不要で、めっちゃ便利。いきたいところは、スクショをとっておく。

地球の歩き方 D22 アンコール・ワットとカンボジア 2018-2019 アンコール・ワットとカンボジア

 

ロードバイクにおける友情・努力・勝利について

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仲間っていいな(^▽^)
みんなでスポーツするっていいな(^▽^)
っていう、お前は少年ジャンプかみたいな心境に。

 

みんなでまとまって走る、自転車の走行会に、はじめていってきた。

 

ふだんはこころ細い車道も、
前にいくつもの背中がみえるし、赤信号になると、
靴とペダルをくっつけている金具を外す音が前から聞こえてくるし、
先頭を走るふたりが突然とびだして競争しだすし、
まえから順にながれてくる手旗信号はこころくすぐるし、
走りながら聞こえてくる雑談はのんびりしていて、
競争していたふたりがぐるりとまわって最後尾に復帰してきてびっくりするし、
よくよく見たら、雑談組は片一方をさりげなく風よけにしてるし、

なんだかもう、乗っているだけでたのしい。
グループにいるだけでたのしい。
いちばん遅いくせに、ずっと笑顔でのってた。
おなかの下のあたりをなでられて、ころころ転がるような浮き立ったきもちで、一日中、全開の笑顔でこころからたのしかった。

 

もっと走って、余裕でまわりについてけられるだけの速さになりたい。
サドル変えて、ビンディング(ペダルと靴をくっつける)にしたい。

こうやって人は散財してゆく。

 

(写真はお昼に入ったところのお店で。わたしは白のちいさいの)

長崎/ランタンフェスティバル

長崎は富んでいた。まぎれもなく富んでいた。
長崎奉行は3年つとめれば、蔵が立つといわれた。
すその重みで、口がきけぬともいわれた。賄賂が重くて。

 

長崎はまつりが多い。いまでも多い。そしてその衣装や装置は、むかしのものが、ケタちがいに豪奢だった。
まあすごい。一瞬、東北の寒村にうまれ、食いつめて、遊郭に売られる女郎のすがたがよぎった。よぎるほどに、奢りのあとが、濃密だった。

 

ランタンフェスティバルも、舶来のかおりがした。舶来のかおりしかしなかった。

 

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交易はほんとうにもうかるんだということと、
とけてまざった文化が、和洋中のふしぎなたてものをつくりあげたことと、
その地でキリシタンが激烈な迫害にあったことと、
それを戦火がまぼろしのごとく焼きつくしたことと、
独占貿易をうしなった、いまの長崎市街が、胸に去来した。

 

オランダ坂にあるカフェ併設の美術館のマスターがいっていた。
「長崎の美術品は、長崎がもっていないといけないんです」
まだ20代の若さから、私財をはたいて、美術品を買いもとめた。
定年退職してから、奥さんとともに、ちいさな私設美術館をひらいた。
美術館にはいると、さいしょからさいごまで、1品1品、ていねいに説明してくれた。
店じまいだからと、奥さんといっしょに、ちゃんぽんを食べて、宿まで送ってくれた。
長崎市滞在中は、毎日、夕方にこのカフェに訪れた。
毎日、おかえりと、いってもらえた。
長崎県立美術館に飾ってあったのと同じ、幕末の陶器でコーヒーをのんだ。
きょうはこんなところを見にいったと、感想をいいあった。
このランタンフェスティバルにも連れていってもらったし、長崎市街を一望する展望台にもいった。

 

展望台から、暮れゆく長崎市をながめた。
「長崎の作品を、のこしていく使命があると思う」
と、マスターはいった。
このひとは、べつに専門家ではないのだ。市井の人なのだ。

 

かれのこのゆるがぬ信念は、一代かぎりのものではないように感じた。
どうして20代の若さで、一介の住民が、故郷を背負おうというのだろう。
長崎がそうさせたのだ。
国禁のころ、この国でいちばん栄え、いちばん開明であったこの都が。
すその重みで口がきけなかった繁栄の都が。
異なる文化をとかしこんだ、まぼろしの都が。
そして繁栄は、いつか暮れゆくのだ。

 

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大阪礼賛、みをつくしても。

大阪には、あえていくほどのところは、とくにない。
大阪うまれ、大阪育ちの身として、力強くいえる。
だから、そとからきたひとに尋ねられると困る。
うーん、京都か奈良にいったら?
大阪城にいくなら白鷺城のほうがいいし、神戸の異人館もいい。
寺社は京都に勝るものはなく、より古代にさかのぼりたいなら、どこかの段階で時間がとまってしまった奈良へ。
大阪は、いろいろあるけど…………あえていくほどのものは。
うちの祖母がいっていた。
いろいろあったけどな、みな空襲で焼けてしもたわ。

 

まったく胸ははれないけれど、大阪っぽいところもあるのはある。
東京より繁栄しておらず、発展したいのか停滞したいのかわからない中心部。そこここにのこる、無計画な昭和感。だいたいぼろい。だいたいきたない。導線がよくわからない。地方都市のゆったりしてきれいな大道路はなく、あちこちせせこましい。運転はみな荒く、いらちが蔓延している。電車は2列でならんでいるのに、ドアがあいた瞬間、なだれこむ。信号は、かならず守るとはかぎらない。ぐしゃっとなって、どどっとすすむ。それが普通。マナーとかじゃない、普通。

 

そんな大阪を体現するまち、なんば。
地上は、いま観光客でえらいことになってる。
地方のともだちが「今夜、お祭りでもあるのかと思った」といっていた。
もしいくなら、期待値をかぎりなくさげて、底が抜けるくらいさげて、水路もぜひ。
大阪城と道頓堀を50分で結ぶ小型クルーズ船。
http://suijo-bus.osaka/guide/aquamini/
https://www.suito-osaka.jp
情趣はないが、大阪感はある。

 

そう、大阪は、川や堀や橋がよく地名につく。
駅名だけでも、淀屋橋、心斎橋、日本橋、鶴橋、長堀橋、京橋。
橋がそこここにあるものの、京橋あたりは延々に対岸に渡れないトラップがある。

 

そういえば高校のとき、物理教師が大阪のことを「東洋のヴェネツィア」と呼んでいた。だいぶ盛った。
そんな東洋のヴェネツィアでいちばん有名な川といえば、道頓堀川。
宮本輝が「腐った運河」と称した、ヴェネツィアの花形運河。
阪神優勝で投げこまれたカーネルサンダース人形は、行方を消失した。
その24年後、ひきあげられたときは、一大ニュースになった。
タイガースにとどまらない。わりとなんでもいい。
日韓W杯では、日本が勝つと道頓堀ダイブがはやった。
橋本元大阪府知事は、道頓堀をプールにするという構想案を推していた。
それだけ大阪人のこころにダイレクトにアクセスしてくる、道頓堀。
水質はきれいなはずなのに、みんなが顔をしかめていう。
「あんな汚いとこ」

 

ところで、道頓堀川にはかの有名な、ひっかけ橋がかかっている。
ナンパが多い。
ナンパというか、張っている。
たくさんのキャッチのお兄さんたちが。
橋のはしで、待機している。
張り番のごとく。

 

中学生のとき、通りさしに、ともだちがいった。目を光らせながら。
―この橋、有名やん、知らんの?
―気を抜いたらあかん。一気にかけぬけるんや。
ひそめられた声から危険を察知し、14歳のわたしは非日常を味わった。
目をあわせないように。視界のはしをかすっても、見てはいけない。
いまみたら、どうみてもホストやがなと思うけれど、あのころのわたしはピュアだった。

 

橋と堀から切っても切れない、大阪市の市章は、みおつくし。
角ばっているので、シンボルとしてはあんまり情緒がない。
みおつくしは、水路にたち、航路をしめす。
「身を尽くし」と音が同じなので、和歌によく詠まれた。


  わびぬれば 今はた同じ 難波なる
    みをつくしても 逢はむとぞ思ふ 元良親王


身を尽くしても、この身を滅ぼしても、あなたに逢いたい。

 

 

【本日の参考文献】

 「あぶくこそ湧くことはないが、ほとんど流れのない、粘りつくような光沢を放つ腐った運河なのであった」

と、宮本輝が書いた『道頓堀川』。宮本輝は大阪人だと、いまのいままで思ってた…

道頓堀川

 

百人一首はいまだに、ぜんぶ覚えたい衝動に、たまにかられる。かられるだけ…

田辺聖子の小倉百人一首 (角川文庫)

長崎/異国情緒と文明のモザイク

長崎のどこがよかったって、和風、西洋風、唐風、アジア風の様式がまざりあっているところ。

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▲復元した出島のなかにある、商館。
たたみにアジア風の絨毯が敷いてあって、その上に洋風のテーブルセット、壁紙はあきらかに洋風じゃない。

 

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▲出島の商館。
たたみにベッド、麻っぽいアジアンなベッドカバーに、すだれのかかっている立屏風がうまい具合に和風をはずしてる。

 

 

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▲唐風。お寺なんだけど、東屋がある。

 

 

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▲同じお寺の、瓦や煉瓦やなにかの廃材を再利用してつくった塀で、好まれて写真や絵のモチーフになっているらしいけれど、何風なのか謎。

 

 

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▲かわら屋根に洋風のはずがバンガローっぽくなってるグラバー邸。

において、ドレスをきてよろこんでるわたし。
調子にのって派手なのを選んでしまったけど、もっとおとなしめの19世紀イギリス風のにすればよかった。映画「いつか晴れた日に」みたいなやつ。
友達は、「お客様これから仮面舞踏会ですか?」みたいなドレス着てたけど。
ついでにその友達いわく、ここでの写真は「もうすぐこの国を離れるから、思い出のお屋敷を案内しながらポトガラフィーを撮るわ」っていう設定。
めちゃくちゃたのしいので、行ったらぜひ。500円30分。

妙見山(660m):キリシタンの残光

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主神が北極星!
家紋が、ほとんどクルス!
高山右近の生誕地!
寺社の門構えに、そこここに金字のクルスが型ぬかれている。
これだけそろって、だれがいえるんだろう。
まったくの偶然だなんて。
キリシタンと無関係だなんて。
小説だったら、伏線にしては興ざめなくらい。もうひとひねりくらい、あるだろう。

 

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山の上って、たまにファンタジスタがいる。650万年前の金星から降りたった魔王を祭っている、鞍馬山みたいな。有無をいわせず疑問をはさませない、堂々たる圧がいい。矛盾や異変、ためらいや混濁を内包して、なお超然としている、それが伝統なんじゃないかと思う。しらんけど。

 

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ロンリー下山したんだけど、だれも通らず、座るところもない。
どこまでいっても、渓流ぞいをひたすら下る。
おなかもへってないし、のどもかわかないし、つかれてもいない。
だけどなんだか、飽いてきた。
ここいらで座って、なにかおなかにいれよう。
ひとりぼっちで、ぼんやりひえたサンドイッチをむさぼる。
足をぷらぷらさせながら、見るともなく小川をみていた。
自分と、セブンイレブンの冷たいサンドイッチと、岩と水だけだった。
はげしく水のはじけくだる、渓流の音だけが響く。
そこで頭蓋をつらぬく確信。
食べるということは、こういうことだ。

 

 

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まぁ、ヒルトンプラザで、何杯目かわからない、薄い紅茶を流しこみながら、3段のアフタヌーンティーセットを、けだるい感じでかじるのも大好きだけど。話しているのか食べているのか、話すために食べているのか、食べるために話しているのかあいまいな、あのブルジョワな感じ。

 

登り1000-1230上杉尾根コース
下り1230-1410初谷渓谷コース
北辰といえば北辰一刀流

五感をゆるがし季感をもたらすロードバイク礼賛

なにしろ、生々しい。
からだをつつむ、風の肌ざわりが。
おなかにひびく、道の感触が。
濃厚な自然のかおりが。
大阪城をめぐる掘りのぐるりを走る。
はじめたころは、夏のかおりが強かった。

 

堀のなかを覆っている黒い森から、虫の声がけたたましく、さわがしい。
こおろぎ、鈴虫、つゆむし、ささきり、きりぎりす。
ギアをきりかえて、ペダルを踏む。
あたりが暴風雨のように、ごうごうと鳴りだし、でっぱった耳に、轟音があつまって、ほとんど音がしない。
虫の声は、聞こえなくなっていく。
空気のかたまりのなかをつっきって、切りわけていくような肌ざわり。とても気持ちいい。
向かいからひたすら吹きかけてくる暴風を、人型でかたぬきするように進む。
からだをひくく、空気抵抗をおさえてひくく。
前傾姿勢がつよくなってくると、四足で走っているような感覚になってくる。
四足で、だれよりもはやく、音がきこえないくらいはやく。
おなかに地面の衝撃がひびく。
アスファルトのざらざらも、段差のへこみも、じかにつたわる。
こわいと思ったらぶれる。
重心を低く。
四足で走る動物のような感覚になる。
自転車の一体感はすさまじい。
錯視をしはじめる。
前を走っているはずのランナーが、手前にすべってくる。
道の両手にならんでいる樹々が、なめらかにうしろにながれていく。

 

そのあたりではっと気づく。
まずい、ここで転ぶと、けがをする。

 

夏のころは、両そでを延々とつづく街路樹の木もれ日が、延々と美しかった。
虫のざわめきが、心地よかった。
しばらくすると、街路樹のイチョウが、ぎんなんの猛烈なかおりを、放ちはじめる。
金色にかがやくイチョウ並木から、ひたすらつづく、フレバーオブぎんなん。
この道をとおったあとの、もう少しいった先にある、中之島のバラ公園のあまやかさといったらない。
薔薇は私よ!ほら、ふりむいて!とばかりの濃密な香りの豊穣。

 

そしてそのあと、ぎんなんは消え、散りはてて、足もとがすべて金色の道に。
金の粉々が、さらさらと流れている道もあれば、葉っぱがぎっしりの道もあり、美しいことこの上ない。

 

というわけで、ロードバイクおすすめです。

 

城って美しいですよね。この城は、緑青がことのほか美しい。黒かったときの大阪城も美しかった。見たことないけど。

童友社 1/350 日本の名城 重要文化財 大阪城 プラモデル S22

 

 

長崎/みんな大好き坂本龍馬

長崎は、龍馬好き。
実物の3倍くらいの大きさの龍馬像が、長崎歴史文化博物館の玄関入ってすぐに迎えてくれる。ランタンフェスティバルでも龍馬とおりょうの縁結びのスポットがあった。そりゃ高知も、高知龍馬空港になるよねってくらいの、龍馬人気。
生きてるうちにリターンのなかった人は、死してのちに伝説化するのか。ゴッホ的な。早世しただけで、金持ちの次男坊だったけど。

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▲亀山社中のあと。
ここだと言われていたところを掘り起こして、遺構を見つけて、伝聞からまっさらに亀山社中を復元してる。なかに飾ってあるものも複製。

 

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▲若宮稲荷神社。
亀山社中のごく近くにあるから、勤皇稲荷神社とも。
拝殿の奥が岩なりにあがっていってる。
亀山社中とこことで、強く印象にのこったのは、複製されたものや、ちょっとぞっとしたお稲荷さんでもなかった。
急な坂道をのぼって、「わざわざここに建物をたてなくても」と思うような、せまく急な土地にあったということと、かなりの高台だから長崎市内を一望できるということ。
毎日みる風景って、どれくらい、ひとの心象風景に影響があるんだろう。

 

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▲龍馬コーヒーと、海援隊カステラと、一番おいしいと思ったチーズカステラ。

龍馬コーヒーは幕末のころの輸入国のものを、幕末当時のひき方でひいたもの。焦げくさいのに、苦みのない、飲みやすいコーヒー。
海援隊カステラは、口のなかの水分を根こそぎもっていく系の当時のカステイラを期待していたら、甘さあっさりの、ふつうにおいしいカステラだった。

清風堂のチーズカステラは、チーズケーキのような味わい。
カステラ屋さんは試食させてくれるところが多くて、すべてを食べた我が舌がはじきだした、長崎市内一おいしい味。
友達が買ってた、長崎駅のモールで売ってる生カステラもおいしそうだった。

 

ところで、東山手洋風住宅群のなかに、なぜか龍馬パネルがあった。
この住宅群に1ナノも関係ない龍馬パネルを、当然のようにほりこむ龍馬熱っぷり。
龍馬パネルは、この旅で4枚は見た。
ついでに、住宅群は賃貸住宅だったらしく、あとでみたグラバー邸との格差がせつなかった。
古民家好きだから、なめるようにみてたんだけど、間取りや窓の配置がふしぎで、ベッドがどの部屋にも置けそうになかった。どこに置いてたんだ。

長崎/軍艦島:ほろびのパレルモの浅いささくれ

廃墟美。

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戦前に炭坑の島として、栄えに栄え、東京以上の人口密度を誇り、のちに無人島となってから、野ざらしになった廃墟の島。
荒廃してゆくものの滅びの美学。

 

らしいんだけど、ハケで一直線にぬったような青空だから、悲壮感がゼロだった。
あんまり雲ひとつないから、イタリアのパレルモの空のようだなと思った。行ったことないけど。
横を歩いてたともだちは、ギリシャの古代遺跡のようだといってた。彼女も行ったことないけど。

 

どこも壊していないのに、風雨だけでこうなったらしい。
木製のものは、なにひとつ残っていなかった。
あまり眺めていると、ささくれ立ってくる気もする。

 

このときとった写真は、
・近代的廃墟
・平和そうに笑顔でピースをしている旅行者
・空はコバルト色の絵の具でこの上なくまっさお
という、なかなかなしろものでした。

 

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金勝アルプス(滋賀県・605m):絶景アスレチック

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絶景


絶景

 という感じだった。最高。
 ケモノ道というか修行道というかアドベンチャーというか、あらあらしい道で、始終たのしくてしかたなかった。野を駆け、山を走り回る。ひとの野生がでてくるというか、童心が呼びもどされるというか。なんだか、登ったり下りたりしているだけで、めちゃくちゃたのしい。
 いちばん高いところで600メートル台なので、低いのにアスレチックがたのしめる。だいぶゼーゼーいってたけど。
 
 もうちょっと詳細を。ルートは上桐生からスタート。

 まず、ひとっこひとりいない。雨予報のおかげか、だれにもすれちがわない。前日の雨のおかげで、森林の芳香がアロマテラピーのごとくあたりを包み、足もとはほどよく手の入ったハイキングロード。沢をわたり、橋を越え、充満する森林感。はじめの見どころの落ヶ滝はみごとで、このあたりまでは道が道である。
 
 そのうち、道と道でないところと道らしきところがあやしくなっていく。ひとっこひとりいないから、ついていく人もいない。目の前には、3つの分岐。どれも道のようで道らしくなく道っぽい。はためく黄色いリボン。さて、どれだ。
 
 落ヶ滝線から天狗岩までは、岩をのぼり絶景、またとなりの岩をのぼり、絶景。
 岩、絶景、岩、絶景。
 だんだん絶景慣れしてきて、カメラもとりださない。はじめはこわがってた断崖も、だんだん広くみえてくる。峰と峰を縦走する。左右が崖の道をあるきながら同行者が、「万里の長城みたい。いったことないけど」といっていた。そんな気もする、いったことないけど。
 
 山頂らしきところにいかなかったので、天狗岩を、いただきだということにした。
 これがこわい。なかなか日常では感じない、まぎれもないこの感情。自然に感じる命の危機。まさに恐懼。あたまからインク瓶をこぼしたように一瞬で染めていく、赤いおそれ。一種のみずみずしさのあるふるえ。こわがってる自分にぞくぞくする。変態か。
 海外でやったバンジージャンプはちっともこわくなかったのに、岩にはりつく妖怪と化した。恐怖という名はこの感情のためにあるのだと、ゆるがず思える、非日常。
 
 くだりの天狗岩線・水晶谷線は、所要時間が短そうだったから選んだら、とんだケモノ道だった。ロープやクサリをつたっておりる。そのうち、ロープもなくなっていく。なんでや。ペグだけ打ってある。シダの繁茂で道がみえない。前をゆく同行者が消える。
 
 
 またいきたい。何度でもいきたい(´▽`)


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