ふみのや ときわ堂

季感と哀感、歴史と名残りの雑記帳

長崎/ランタンフェスティバル

長崎は富んでいた。まぎれもなく富んでいた。
長崎奉行は3年つとめれば、蔵が立つといわれた。
すその重みで、口がきけぬともいわれた。賄賂が重くて。

 

長崎はまつりが多い。いまでも多い。そしてその衣装や装置は、むかしのものが、ケタちがいに豪奢だった。
まあすごい。一瞬、東北の寒村にうまれ、食いつめて、遊郭に売られる女郎のすがたがよぎった。よぎるほどに、奢りのあとが、濃密だった。

 

ランタンフェスティバルも、舶来のかおりがした。舶来のかおりしかしなかった。

 

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交易はほんとうにもうかるんだということと、
とけてまざった文化が、和洋中のふしぎなたてものをつくりあげたことと、
その地でキリシタンが激烈な迫害にあったことと、
それを戦火がまぼろしのごとく焼きつくしたことと、
独占貿易をうしなった、いまの長崎市街が、胸に去来した。

 

オランダ坂にあるカフェ併設の美術館のマスターがいっていた。
「長崎の美術品は、長崎がもっていないといけないんです」
まだ20代の若さから、私財をはたいて、美術品を買いもとめた。
定年退職してから、奥さんとともに、ちいさな私設美術館をひらいた。
美術館にはいると、さいしょからさいごまで、1品1品、ていねいに説明してくれた。
店じまいだからと、奥さんといっしょに、ちゃんぽんを食べて、宿まで送ってくれた。
長崎市滞在中は、毎日、夕方にこのカフェに訪れた。
毎日、おかえりと、いってもらえた。
長崎県立美術館に飾ってあったのと同じ、幕末の陶器でコーヒーをのんだ。
きょうはこんなところを見にいったと、感想をいいあった。
このランタンフェスティバルにも連れていってもらったし、長崎市街を一望する展望台にもいった。

 

展望台から、暮れゆく長崎市をながめた。
「長崎の作品を、のこしていく使命があると思う」
と、マスターはいった。
このひとは、べつに専門家ではないのだ。市井の人なのだ。

 

かれのこのゆるがぬ信念は、一代かぎりのものではないように感じた。
どうして20代の若さで、一介の住民が、故郷を背負おうというのだろう。
長崎がそうさせたのだ。
国禁のころ、この国でいちばん栄え、いちばん開明であったこの都が。
すその重みで口がきけなかった繁栄の都が。
異なる文化をとかしこんだ、まぼろしの都が。
そして繁栄は、いつか暮れゆくのだ。

 

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