ふみのや ときわ堂

季感と哀歓、歴史と名残りの雑記帳

共感性は、ほんとうに、君のきもちがわかるのか?

君に贈る歌

わかーる わかるよ~♪ きみのきもちー!

ファッションビルを横切っていたら、ふいに耳にとびこんできた。
天井から注がれるメロディに、唐突に、全肯定された。
前奏がない。
いきなり、この歌詞がくる。
わかる、わかるよ、きみのきもち。
少女のような童顔が、ギターをかかえ、たのしげに歌っている。
旋律は、ほがらかに、弧をえがくように。
画面のこちらにむかって、黒目がちな瞳をあわせてくる。
ターゲットは中高生。
テレビのなかにしかいないような、青春映画の主人公が、夢を見せてくれる。

と、思っていたら、歌詞が意外と、安眠をさまたげる系だった。
甘いまどろみを、消しさる系だった。
わかると思っていたけれど、そうでありたいと思っていただけかもしれないと、歌詞はつづく。
さいごには別々の道をあゆむ。
それでエンド。
わかる、わかるよ、きみのきもち。
きっと、それは思い違いだったんだ。
なんてこった。

この歌を聴きながら、ストレングス・ファインダーの共感性を連想した。
そう、共感性って、あわいし、もろいし、あまりにも、不確か。
わかるわかると頷いているけれど、だれも保証できない、本人ですらわからない。
だからこそ、上位のひとは、自分でも説明できない。
下位のひとも、どうして下のほうなか、よくわからない。
そのなかで、解きほぐす、よすがになりそうなものを。

1:共感的であることと、共感性があることは違う。

やさしさを配ることは、能動的である。
自分からする。
自分から、だれかに親切をくばる。
こまっているひとがいれば、手助けする。
悲しんでいるひとがいれば、声をかける。
こういうひとたちは、おだやかで、親切。
利他的に行動できる。
共感的にふるまうことができる。
でもこれは、ストレングスの共感性とは違う。
共感性は、受動。
ただうけとるだけ。
空から降ってくるもの、風のなかにまじるもの、声のトーンに染みるもの、まなざしのなかに、きざすもの。
肩のあたりのつっぱり、笑顔の消える速さ、いつもより反応が早い。
いつもより、視線が流れる。
いつもと、語尾の消えかたが違う。
なにか、どこかが違う。
にわかには名状しがたい。
でもどうしたんだろう、のこるものがある。
たえずアンテナはぐるぐるまわっていて、Bluetoothはいつもペアリング先をもとめている。
なんどきも、受信している。
だれかから、どこかから、風のつよさを、あらしのめだまを。
おかげで、エネルギー消費量がすごい。
それがストレングスの共感性だと思う。
もちろん、受けとったあとに、能動的に、ひとにやさしくすることも多い。
だってしかたない。
きもちがわかるのに、放逸しておくこともできない。
能動ではなく、受動。否応がない。受信してしまう。

とはいえ、受信に慣れてはいても、共感性には、自信のないことがある。

2:ほんとうは、わかっているのか、わかっていないのか、よくわからない。

わかーるわかるよ、きみのきもち♪
そう歌った、小池徹平のきもちがわかる。
たとえば、こういうシーン。
なにか別のことをしていたのに、ふいに目に飛びこむ、記者会見。
朗朗と読みあげる、声のまにまに、なにかが混ざりこむ。
半音あがる。あがったまま、音がつづく。
抑揚がつかない。つかないまま、滑舌がにごる。
気づいて、胸がふるえる。
これは涙声だ。
急速に、うずにまきこまれるように、なみだのからんだ世界に、吸収されていく。
目が離せなくなる。吸着してしまう。
まきこまれ、翻弄される。
どういう感情に、身をふるわせているのか、いたみが喉もとまで伝ってくる。
そう、こんなに真情せまるのに、ぜんぶバーチャルなのだ。
想像しているだけだ。
あたまをかちわって、見せてもらうわけにもいかない。
きみのきもちがわかっているのか、共感性にも、わからない。
それでも、ひとつ、確実なことがある。
共感性には、もうひとつ、特殊な力がある。

3:共感性は、直感に近い。潜在意識に近い。

共感性同士で話していると、たまに、感覚だけで会話が進む。
ーーあー、はいはい。
ーーあ、それじゃなくて。
ーーああ、そっちね。わかります。
老夫婦の会話ではない。
なにも省略していない。
ツーカーでもない。
なのに、ほとんど「あ」だけで構成されてしまう。
おたがい共感性だったら特に、相手がいいたいことがわかる。
言語化するまえに。
相手が口にひらくまえに、つぎになにを言うか、あてられる。
ただ、これも、かならずしも100%合致しているわけではない。
確かめるすべがない。
それでも共感性は、ひらめく。
ことばになるまえに、なにかがむすばれるまえに、眼を見て、間を感じて。
ことばじゃない、まだ「色のついているかたまり」の時点で、受信する。
かたまりを受信した人は、かたまりのままで、のみこむ。
かみ砕かない。
受信者は、瞬時に、かたまりを生み、発する。
そのどれもが、言語化されていない。
おなじ水のなかに、みんなの脳がういている。
ひとりから発されたレーザーは、だれかが受信する。
だれかが明滅させる。発信。
ひかりの速さで、受信と発信をくりかえしている。
はたからみると、星のまたたきに近い。

そう、速いのだ。
共感性は、共振する。
音叉をたたくと、そばにある、べつの音叉も鳴る。
鳴らしていないのに、響く。
どうしても音波を受けてしまう。
共鳴する。
たまたまつけたテレビで、見知らぬだれかが泣いている。
音叉が鳴る。
瞬時に、共感性の涙腺が、やぶられる。
まなじりに、なみだの白がひかる。
それをべつの共感性が、目にする。
ひかる白を見てしまっただけで、なみだが連鎖する。

このように、共感性には、共感とはひとくちに言えないものがある。
言語に絶するもの、形づくられるまえのもの、ただ、鳴っているだけのもの。
テレパスやエンパスに近いといえるかもしれない。
EQや潜在意識といえるのかもしれない。

でも、どうしたってひとつだけ、付言しないといけない。
「気がする」だけなのだ。
ほんとうかどうかは、完全に理解しているかどうかは、証明できない。

 

だから共感性は、きみのきもちがわかる、「気がする」。

 

 

 

 

▼嘘でいいから、気がするでいいから、みなさん、わかるといってあげてください。この世は共感をもとめてます。

君に贈る歌 (Acoustic version)

▼この受信と発信の能力は、たぶんAIにまねできない。気がする。潜在意識の使いかたの問題かなぁ。ひきつづき調査及び研究をつづけます。

君に贈る歌