ふみのや ときわ堂

季感と哀歓、歴史と名残りの雑記帳

恋わずらいに効く、えんむすび寺社仏閣3選

ともだちが、気がついたら「恋の病 治し方」で、ぐぐっているらしいので、友として、なんらかの提案をしたいと思います。
ちなみに相手は、テレビのむこう側にいるそうです。

■愛染明王


恋わずらいといえば、えんむすびといえば、夫婦円満といえば、この明王。
明王は、基本的に戦士なので、めだまをぎょろりとさせ、火をふきそうな憤怒の表情をしている。
ストップウォッチでとめたかのような、いまにも錫杖をつきだしそうな躍動感を活写している。
これを、底冷えのする、がらんとした金堂で見上げる。
息をつめさせる、この気迫。
たまらない。
何百年間にわたって、どれほどのひとが、なんらかの思いを胸に、見あげてきたことだろう。
明王は、冬の朝に、仰ぎみるのが極上。
おおむね、赤い肌をしている。
青い肌だったら、べつの明王です。

愛染明王は、恋の懊悩を、その業火で焼き尽くす。
つまり、愛欲をうちほろぼし、さとりへと導いてくれる明王です。
あれ、それのどこが、えんむすびをつかさどるのか。
劫火で焼きつくして、煩悩を抹消せしめる系ではないか。
縁をたちきる系ではないか。
このような、意味が完全に逆転することは、時代をへると、まま、起こる。
ほんとうは、愛染明王としては、うちほろぼして、大我に導きたいのではと、勘ぐってしまう。
というわけで、やや、こころもとない。

■貴船神社


鞍馬山にある、水神をまつる神社。
とてもすばらしいロケーションにある。
滝は清澄、山気は清涼。
ガイドブックのえんむすび特集に、かならずといっていいほどでてくる。

ところで、ここ10年ほど、寺社むけのコンサルがはいっているんじゃないかという、グッズ頒布事情を、たまにみかける。
10年前も、ここのお守りはかわいかった気がするけれど、それだけではない。
ウェブサイトは仰々しく、ふんだんに最高敬語がまぶされていて、グッズのネット頒布にも余念がない。
おまいりにくる女性参拝者をねらいうちにする、お守りのかわいさ。
たとえば、こういうの。

http://kifunejinja.jp/images/omamori/img11.jpg

なにがどうむすびついて、えんむすびに霊験あらたかとなったのかは、わからないけれど、ここは丑の刻参りとして、とみに有名である。
丑の刻参りのエースというか、フロンティアというか、エクスプローラーというか。
あたりをだまらせる、確固たる伝統がある。といったらたぶん怒られる。
こんな辺鄙なところまで、丑の刻にどうやってくるんだと思ったけれど、車の一択だろう。
逆にいうと、辺鄙だからいいのかもしれない。
そんな煩悩のうずまいているところで、ほんとうにピュアに、えんむすびを祈願してよいのか、迷うところである。

■地主神社


清水寺の鎮守社であった、地主神社。
ここも、えんむすびの神さまとして、きわめて有名である。
修学旅行生が大挙していて、とてもほほえましい。
女子高校生たちが、笑いさざめきながら、絵馬をぶらさげている。
とてもかわいい。

ここの主祭神は、大国主である。
大国主といえば、出雲大社の祭神である。
出雲大社がなぜ、えんむすびをになっているかといえば、神無月に、神々が全員集合するからである。
その場で話しあってもらうために、大国主に、直で、えんむすびをおねがいする、というルートだと思われる。
大国主ご本人に、おそらく、えんむすびの意図はない。
業績としては、国をつくったひとなので、おそらく、顔がひろい。
そのあとのメンテナンスのために、神々を、毎年あつめる。
だからついでによろしくねと、直談判をするのだと思われる。
どの業界でも、ひとをあつめる力というのは、権力に通じるのだと思わせてくれる。
ひいては財力。
縁とは、財力である。

脱線しかけたところで、地主神社は、もともとは、清水寺の鎮守社である。
鎮守というのは、ことばのあやである。
鎮めるというより、屈服させる。
清水寺をたてるときに、その土地の神をおさえつけるために、より強力な神を召喚した。
その強力な神が、大国主ということなのかもしれない。
だいぶ強いのを喚んだ。

と、そこまで話したところで、地主神社そのものは、あまり風情がない。
というのは、あまりにひとが多すぎる。
雑然としていて、よくわからない。
極寒の金堂で、愛染明王を見あげるほうが、効能があるような気がする。
神聖なる雰囲気がだいじである。

■下鴨神社


神聖なる雰囲気といえば、ここ!!
そんなみなさまに、ここをおすすめします!!(突然の推し)
下鴨神社のなかにある、糺の森。
ただすのもり。
なまえからして、謹厳な気配がする。勝手に。
ここの祭神は、上賀茂神社といっしょで、現世にあゆみよったところがない。
「よくわかんないけど、むかしからそうなのでそうしています」感あふれる祭神。
特になにを願っていいのかわからない、これぞ正統。

この神社にも、えんむすびの効能がある。
連理の賢木があるためである。
鎮守の森に、賢木がのびている。
その幹がからみあい、2本が1本となって、天にその腕をひろげている。
なんという果報!
まれなる功徳!
下鴨神社は、そこに相生社をつくり、神木としてまつっている。
はて、そこで首をひねる。
いかに、霊験あらたかな森といえど、樹には寿命があるのではないか。
そのうち、枯れるんではないか。
そうです、枯れます。
そしてまた、下鴨の敷地内の、いづこかにおいて、ふたたび生じるのです!
いまのは4代目だそうです。
なにか人的なパワーを感じたひとは、記憶から消しましょう。
かわりに押しておきますね、はい、Delete。
糺の森は、それ以上にすばらしい、厳粛なる静謐がひろがっています。
明鏡止水。
たぐいまれなる恩賜。

というわけで、下鴨神社をおすすめします。