ふみのや ときわ堂

季感と哀歓、歴史と名残りの雑記帳

大文字山の地蔵菩薩

大文字山。
のぼるのはさほど、魅力的でもない。
とびこえる沢も、ともにあるく水路も、劇的な絶景もない。
五山の送り火のひとつとしての著名しかない。
そして京都はさむい。
なにを血迷って、みやこを置いたのかと問いただしたいくらい、暑いし寒い。
四神相応の地、京都盆地。
背山臨水の地を、左右から砂でまもるという考えなので、必然、三方が山になる。
とすれば、盆地になるは必定。
盆地とは、夏にあつく、冬にさむい。
ということは、四神相応を採用した時点で、悪気候の星を背負う、さだめにある。
平城京造営の時点で、だれかとめればよかったのに。
夏の旱魃も、冬の飢餓も、減っていたかもしれないのに。
このころの感覚では、四神にまもられるほうが大事か。
そうだった。平城京から遷都した長岡京は、怨霊によってついえた。
悲運にたおれた、由緒ただしき親王のたたりによって。
そのあとの遷都が、平安の都になる。


そう、その極寒の京都を、さらに山上にのばして、なんでこんなところにきたんだろうと、いぶかりたくなるくらいに、気温を下げる。
りんりんと耳が鳴るような低温のなかにいる。


いただき近くの岩に、地蔵があった。
とてもちいさい。
ひとさし指ほどの大きさ。
くぼんだ岩の上に、ちいさな座布団といっしょにのっている。
座布団がかわいい。
そして遠慮がちに、小銭がまかれている。


よくよく見る。
こんなのだったっけか。
お地蔵さんなのは、まちがいがない気がする。
あたまをそりあげた修行中のすがたは、ほかにもいないとも言い切れないけれど、道ばたにいるのでいちばん可能性が高いのは、お地蔵さんにちがいない。


そういえば、地蔵菩薩は、座っているものだったか。
衆生をどう救おうかと考えている菩薩は、よく座っている。
お地蔵さんは、思索というより、人間とともに修行をしてくれているので、立っていることが多い気もする。
錫杖をもち、修行僧のすがたで、はだしにわらじをはいて立っている。
そしてこちらを見ている。


目のまえの地蔵は、あらぬ方向をむいている。
首を、もたげている。
すこしだけ、ふりむいている。
いや、ふりあおいでいる。
糸を引いた目線のさきを追う。
どこを見ているのだろう。
頂上か。そこになにかあるのか。


地蔵は、とてもあたらしかった。
墓石屋の店内のごとき、新しさだった。
だれかがだれかをいたんだのは、さほどさかのぼらない時節だろう。
のこされただれかは、まだ存命だろう。
風雪にいたみ、色褪せてゆくものが、まだなまなましく浮いている。
磨かれ放散する、まろやかさ。
その裏のはりつめた、八苦。