ふみのや ときわ堂

季感と哀歓、歴史と名残りの雑記帳

アンコールワット記4:ガジュマルがたいらげるタプローム寺院

棄てられるということは、どういうことなのだろう。
みやこが、うつる。
ひとが去る。
遷都されたあとの旧都は、どうなっていくのか。
平城京では、魑魅魍魎が跋扈した。
木造のたてものは、たびかさなる大火にむなしくなった。
それが石ならどうだろう。

ときは1186年。
壇ノ浦の戦いの翌年。
三島由紀夫のライ王、ジャヤーヴァルマン7世が、この寺院を建てた。
母のためだった。
かれが仏教徒だったため、仏教寺院としてはじまった。
往時は1万人の僧侶が住んだという。
ライ王の夢の都は、はかなくなった。
そして900年が経った。

放棄された王都の、なれのはて。
それがいまのタプローム寺院である。
大樹にのみこまれ、まきこまれ、レンガがくずれおちている。
もう住めはしない。
ガジュマルは、遺跡に一体化してしまっている。
無作為に食い荒らしているガジュマルが美しい。
でもこれは、損傷らしい。
ガジュマルが遺跡を破壊せしめている。

好みすぎて、どの崩壊、どの損傷も、あまりにすばらしかった。
とにかく写真をとりまくった。
やはり有名なために、ものすごく人が多かった。
トゥーム・レイダーの撮影につかわれ、アンジェリーナ・ジョリーがうろうろしていたために、とても名高い。
白人が多め、そのつぎにアジア人が、崩壊の寺院にひしめいていた。

そんなこと気にならないくらい、ガジュマルがすばらしかった。
この太さ、この力強さ。
人工物をのみこむ、樹木の苛烈さ。
石積みなんて、なんてことない。
地を割り、岩を這い、何百年もかけて、その身を肥やしていく。
凶暴な生気が激しくとどろいている。
なのにこの静けさ。
文明の朽ちたのちに、栄える、みどりの王国。
なんてすばらしい。
都が、ひとが、わたしたちがほろびたあとには、きっとこんな世界が待っている。
なにも心配しなくていい。
数千年ののち、わたしたちが死に絶えたのち、この世はこれほどの美しさに満ちている。
くるおしい豊穣を謳歌している。
木洩れ日がひかり、遺跡は苔むし、樹勢は枯れることなどない。
しめされるのは、おわることのない繁栄。
おとろえることも、うしなわれることもない。
これこそが、戯曲・癩王のテラスで、王がもとめたものではないか。
死して900年ののちに達せられたもの。


永遠の勝利。