ふみのや ときわ堂

季感と哀歓、歴史と名残りの雑記帳

アンコールワット記3:まぼろしの新都・アンコールトム

 

三島由紀夫『癩王のテラス』の主人公、ジャヤーヴァルマン7世。
戦いをくりかえし、クメール王朝の最盛期をあらわした。
と、同時に、はじめて仏教に帰依した、美貌の王。
100をこえる病院を、200をこえる宿駅をつくらせ、政治的手腕も、人格もたたえられる王者。
そのラストシーン。
王は、癩病におかされていた。
かつての美貌は、醜くただれ、視力をも失った。
執念によって完成させたバイヨン寺院を、もう見ることができない。
王は、妃に語らせる。
それはそれは美しく、典麗温雅、浄土のごとき甘美だった。
王は臨終の地に、この寺院を選ぶ。
一歩、また一歩と、ひとり歩く。
するとどうだろう。
聞き覚えのある声がする。
若い。
あまりに身近な声だった。
王は瞑目する。
それは、若かりしころの自分の声だった。

 

 という話の舞台になっている、新都アンコールトム。
王が築いた、まぼろしの都。
アンコールワットから半世紀後につくられた、12世紀の城砦都市。
石という点では、このあたりの遺跡はとても似ている。
区別がつかない。
ただ、この観世音菩薩。
どこからでも見える巨像。顔だけ。
ヒンドゥーの顔は、わかりやすくこわい。
眼はつりあがり、くちびるのはしも、あがっている。
ほほえんでいるはずなのに、緊張感がある。
身を任せられない、油断ならない苛烈さがある、気がする。
それに比べて、このバイヨンにある菩薩像は、柔和にうつる。
くちびるはやさしく結ばれ、瞑目しているようにもみえる。

 

汗つたう晴天の下で、寺院をうろうろする。
おかしい。
道順がよくわからない。
突然、行きどまりがある。
迷路なのか、そういうつくりなのか、判然としない。
回廊がどうも、うすぐらい。
半地下のようになっている。
奥まったところにレリーフがある。
見えないところに、わざわざ?
あきらかに、どの段階かで、改築がなされている。
なぜ?

 仏教から、のちにヒンドゥーに宗旨がえしたせいか。
だったらなぜ、観世音菩薩はそのままにしているんだろう。
宗旨のためではないのか。
用途をかえたのだろうか。

 

 

それはそうと、アンコールトム遺跡群は、だいたいこのコースをいく。
混んでる。シェムリアップから近いためか、とても混んでる。
たぶん、アンコールワットにいくひとは、みんな寄る気がする。
セダンはちっこいので、だいぶ中まで車ではいれた。
バスだと歩くらしい。

●バイヨン寺院(入場観光)
●象・ライ王のテラス(下車観光)
●南大門(下車観光)  
●バプーオン遺跡(入場観光)

遺跡内渋滞のために、セダンがのんびりしていると、はるか右のほうを、象がゆくのを見た。
のれるらしい。

 

 

 最後にいく、バプーオン遺跡。バプーオンとは、隠し子を意味する。
王家の庶子を隠したのか、不吉のふたごを隠したのかと、わくわくしたら、違った。
言い伝えによると、かつて、クメール(カンボジア)の王と、シャム(タイ)の王は、兄弟だった。
カンボジア王家は、タイ王子を預かった。
しかし、タイ王子が殺されてしまう。
報復をおそれたカンボジア王家は、自分の王子をここに隠した。
という話らしい。
神話はなんらかの暗喩である。
あかるくないために、思い当たるような史実はわからない。

おそらく、カンボジア王子のひとりが、ゆくえをくらましたのだろう。
タイ王子も、死んでしまったのだろう。
くらました王子は、権力闘争に負けたのか。
王位継承から、外されたのか。
隠された王子は、ここで、祈りを捧げたのだろうか。
祈りの一生を送ったということに、なっているのだろうか。

物語は、千年の土埃の下で、永い眠りについている。

 

 

 

つづく。

 

癩王のテラス (中公文庫 A 12-4)

癩王のテラス (中公文庫 A 12-4)