那由他にかがやく星のなかで、自分にしかみえない星がある。そしてだれもそれを反証できない。
ということを小学5年生のころに読んだ。あふれでる浪漫。かけだしたくなる衝動。未来には、輝かしい栄光しか、待っていない。
あのころ、SFは、夢と希望を、昼ひなたから、雨あられのようにふらせてくれていた。
小学生なので、宇宙人はいるのである。宇宙旅行もいけるのである。かぶれるとか、そういうどころではないのである。本で読んだことは、起こるのだ。21世紀は、銀河の果てまでつれていってくれる。
いま思えば、スペースオペラだった。1940年代のアメリカ、これから世界一の帝国にのぼりつめてゆく若いアメリカ。からりと晴れた荒野を、ジープを駆ってどこまでもゆく。風は渇ききって、頬をなでてゆき、ひとしずくの涙ものこらない。愁いも侘びも、影も後顧もない。みなぎる活力、ほとばしる情熱。
スペースオペラはSFのジャンルのひとつで、当時のタフなアメリカで大流行した。とうに下火になったころ、極東の小学生が、図書室のかたすみでその本のひとつをみつけた。だれにもかえりみられないエリア、ずるずると脚立を動かして、背表紙をかたむける。貸出カードはずいぶん古い。もうこの人たちは、おとなになっているだろう。
そのシリーズ一帯が、うすく字がかすれていた。黒なのか青なのか、見まごうインクの色。ざら半紙に近いのに、指をはねる手ざわり。ページはところどころ、もがれていて、そのままはさんであった。補強して果てたセロテープが、かぴかぴしながら黄色かった。
きまって絶体絶命に陥った。そこでくりだされる決めゼリフ。
――レンズマンは、あきらめない。
このセリフがでてきたら、もう安泰だった。はじめておりたった星で、異星人におそわれながら、ほぼほぼこわれた生命維持装置をかついでの、決めゼリフ。そこまで追いつめなくともいいだろうという、孤高の絶体絶命。それをあざやかにみごとに、ひっくりかえす、鉄板のものがたりだった。
思えば、メタファーだったのだろう。自分にしかみえない星は、夜空にまたたく星のことではないのだ。でも小学生は、それがわからない。
熱心な小学生は、その星がどこにあるのか、星座早見盤をとりだした。図鑑をさがした。雑誌ニュートンをめくった。
科学雑誌ニュートンは、小学生にはめざましかった。目がくらんだ。コンピューターグラフィックのあまりの美しさ。見開き2ページの天文写真。文章はわけがわからなかったが、どの写真もどのページも美しかった。
そのなかに、プレアデス星団があった。別名スバル。星はすばると、清少納言は、枕草子で書いている。
千年の昔、すでにそのかがやきを賞賛されていたスバルは、とても若い。若いから青い。星は、赤に近づくにつれて年老いていく。あの白い一等星シリウスですら、スバルより老いている。おなじような若さの、はっとする青が、星団をなしている。
ただ、肉眼では見えないとあった。小学生には、双眼鏡も望遠鏡も、夢のまた夢だった。おとなにならないと手にはいらないだろう。遠いおとなへの道のり。
小学生は、切りとった。スバルをハサミで切った。きれいなものは、あつめて宝箱にいれるのである。ほぼ中身のないパスケースにいれるのである。折り目はたくさんついていたが、ひろげるとやはり美しかった。
時を経て、スバルを持ち歩いていたことすら忘れ去った、平成最後のお盆休み。つまり、ついこのあいだ。
スバルを見た。
うまれてはじめて見た。
うまれたての星々が、むらさきに近いほどに青かった。うるみながらまたたいていた。双眼鏡で何度みても、そのほかの星とは違った。大接近中の火星は赤い。さそりのアンタレスも、おうし座のアルデバランも赤い。わし座のアルタイルも、白鳥座のデネブも、こと座のベガも、ただ白かった。
惑星ほどにあかるくもない。
肉眼では、けぶっているようにしかみえない。
それでも圧倒的に美しかった。ほかの追随をゆるさなかった。ずっと見ていたい青だった。まぎれもなく輝石だった。
ふいに、眼前に、折り目だらけのスバルの写真が、よみがえった。小学生のころ、だいじにパスケースにおりたたんでいた写真だということは、雷鳴のごとく思い当たった。
そうだ、わたしは見たかったんだ。スバルを。雑誌ごしに、めっぽう美しかったあの星々を。
あった。ほんとうにあった。スバルはほんとうにあったのだった。
腹腔からふるえあがるものを感じた。手はふるえてはいなかった。まばたきをくりかえした。泣きじゃくりながら、大声でさけびたいくらいだった。
あった、あったんだ。スバルが、プレアデス星団が!
目頭はやたらめったら熱いし、血が駆けめぐって、どうにもできない。
それと同時に、小学生の成れの果ては、気づいた。
そうだ、そうなんだ。
いま見つけたんじゃない。いまはじめて知っただけだ。はるけし彼方から、平安のむかしから、小学生が、きりぬきをポケットにいれていたときから。見えなかっただけなのだ。
スバルは、星々は、いつも天にある。
双眼鏡をもたない小学生が、うつむいたその空に。SFをよまなくなった中学生のその頭上に。空なんて見上げない、都会のおとなのその上に。
きっと那由他にかがやく星のなかの、自分にしか見えない星もそうなのだ。見つからないとなげきながら、地上をさがしまわる。目はしをきかせながら、自分にはオリジナリティがないと瞑目する。この星も、見あげなかっただけなのだ。
星々は、朝な夕なに、ずっとあった。千年前も、千年ののちも。たとえそれが、この眼に見えずとも。
(写真は同行の顧問の先生からいただきました)