三種の神器って、平家物語で、海のもくずと消えなかったか?
三種の神器は、欠けている。
ないはずだ。
なくなったはずだ。壇ノ浦の戦いで。
幼帝が入水するとき、ともに沈んだのだ。
御代がわりの話題のなかで、ふつうに「三種の神器」がでてきて、二度見した。
あったっけ。
なくなったのは虚構だったっけ。
こういうとき、自分のなかの虚構と現実がゆらいで、おののく。
結論からいうと、やはり失われている。
平家物語は、まちがってない。
でも、いまもあるというのも正しい。
あのころとは違うものが、神器としてまつられている。
鏡と、玉と、剣である。
かっこいい。
いかにも神道の総本山っぽくて、ぞくぞくする。
そのうち、剣と玉が、壇ノ浦の水中に消えた。
玉だけが回収され、剣は、失われた。
平家物語で、さらさらっと描写されているが、おそるべきことである。
尋常でない。
すさまじい。
三種の神器は、アマテラスオオミカミから授かったものとされる。
皇統の正当性をしめすもの。
皇位継承とともに、ひきつがれていく。
血を継いでいくことのつぎに、だいじなものである。
ひとりの天皇が、棺にいれていいものじゃない。
いっしょに入水していいものじゃない。
このとき幼帝は、10歳未満。
そんな判断はできない。
祖母である、平清盛の妻がそうしたのだ。
平清盛の妻、平時子。
いよいよ追い詰められたとき、彼女は、「神璽を脇にはさみ、宝剣を腰にさし、主上をだきまいらせ」た。
もう、いっしょに水中に入る気、満々である。
おそろしい。
もともと、どうして、三種の神器が、平家とともに壇ノ浦の船上にあるかというと、持って逃げたのである。
神器がないと、つぎの天皇は即位できない。
幼帝に正統性がある。
たとえ、平家の落日が来たろうと、即位しているのだ。
廃位なんてされない。
だって、神器はこちらにあるのだから。
しれっと、幼帝と平家がいっしょに逃げているが、天皇はほんとうは、そんなことしない。
御所にいる。
外にでたら御幸といわれるくらい、外出しない。
御所にいるのが、だいじなのである。
天皇を弑するということは、おおごとである。
そんなのできない。
天下の大罪である。
御所にのこったからといって、いたずらに生を奪うことはできない。
だから幼帝は、御所にいたってよかった。
なぜ逃げたかというと、平家の権力のよりどころだったからである。
源氏に奪われたくない。
廃位や剃髪や幽閉をされたくない。
中央に返り咲いたのちも、この幼帝をいただきたい。
かくして、幼帝は、斜陽の平家と、運命をともにする。
6歳だった。
そうして、いよいよ終局の日、安徳天皇は、時子に、わきにかかえられた。
時子はいう。
わたしは、女だけれども、敵の手にはかからない。安徳帝とともにまいります。
(われは、女なりとも、敵の手にはかかるまじ。主上の御供にまいるなり)
このとき、もう清盛はいない。
有力武将はまだ生き残っていたのに、だれも止めなかった。
時子は、6歳の孫にいいきかせる。
あなたが帝にお生まれになったのは、前世のえにしです。
しかれども、もはやその命運もつきました。
東にむかって、伊勢神宮に、お祈りなさいませ。
西にむかって、西方浄土にゆけるよう、念仏なさいませ。
ここは、うらぶれた地にすぎませぬ。
波の下にこそ、めでたき、極楽浄土という名の都がございます。
ともにまいりましょう。
(君はいまだ知ろし召され候はずや。先世の十善戒行の御力によつて、今万乗の主とは生まれさせ給へども、悪縁に引かれて、御運既に尽きさせ給ひ候ひぬ。先づ東に向かはせ給ひて、伊勢大神宮に御暇申させおはしまし、その後、西に向かはせ給ひて、西方浄土の来迎に与からんと誓はせおはしまして、御念仏候ふべし。この国は 粟散辺土と申して、もの憂き境にて候。あの波の下にこそ、極楽浄土とてめでたき 都の候。それへ具し参らせ候ふぞ)
時子は、にび色の衣を頭にかぶり、ねり絹のはかまをまとっている。
むかいあった幼帝は、髪はみずら、山鳩色のころも。
なみだで顔をいっぱいにしている。
時子はつづけた。
「波のそこにも、都がございます」
そういって、千尋のそこに、沈んだ。
こうして、あるまじきことに、君臣の壁をこえて、幼帝は没した。
運命をともにしたのは、草薙剣。くさなぎのつるぎ。
ヤマタノオロチをスサノオが退けたときに、たちあらわれた神剣だといわれる。
この劇的なシーンで大海に放たれた神剣が、来年の5月の御代がわりに、登場します!
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