ふみのや ときわ堂

季感と哀歓、歴史と名残りの雑記帳

包含のものがたり

包含は、包容する。
輪のなかにいれたい。
エリートでも選民意識がない。
自分に似たひとも似ていないひとも、まるっとふくめていく。
のれんをあげて、にこっとほほえむ。入っておいでよ。
外はさむいね、コタツをつけとくよ。
ほらそんな隅っこにいないで、あったかい緑茶がいいかな、珈琲かな、あまいものもあるよ。
だれだったか、ここに来た人が置いていったものが。
どこかの名産物らしいよ、どこのだったかは忘れたけどね。
あちこちから来るからね、名前は聞かないよ。
またおいでよ、いつでも待ってるよ。

いつでも灯りはついてるからね。

 

(比較)
・包含があがると、個別化がさがりやすい。
・社交性は輪を広げ、包含は輪にいれる。
・包含はみんなだいじ。個別化はひとりひとりがちがうから意味があり、だからだいじ。
・影響力の資質は自分からいくが、包含は人間関係構築なので、待つ。
・ノアの箱舟バスがあるとすると、最上は優秀な人しかバスにのせたくない。包含はみんなをバスにのせようとする。

 

ストレングス・ファインダー 人間関係構築力
運命思考 共感性 個別化 親密性 成長促進 調和性 適応性 包含 ポジティブ

 

 

包含とは、コタツである。

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摩耶山(699m)六甲山系:ほろびの残り香

山セミの声はしずかで、ときおり、もの悲しげなひぐらしがきこえる。
夏が濃いせいか、名のある山がとなりにあるせいか、山道はひとが少ない。
ことば少ななちいさなグループとたまにすれちがう。
音も少ない。

少し遅れると、視界にはひとがいない。
見あげると、樹々の日陰のなかに自分がうまっている。
ふくまれている。
横紙をやぶるように、その破られる部分に自分ごと、こそぎとられていく気がする。
鳥の声がしない。
ぎくりとする。
ここはどこだろう。
わたしはどこにいるんだろう。地面がゆらぐ。

すこし歩くと、メンバーが笑顔でこちらをふりかえっている。
ああ、そうか。ほっとする。
空気がゆるんだ気がした。

摩耶山の上野道の道すがらには、どうしてこんなものがこんな傾斜の面に、というものがあった。
うち捨てられた土産物屋、食堂のようなもの、卓球場と書いてあるビニールの建物。
おそらく昭和中期くらい。
開けようと思ったら開けられないこともないけれど、いま営業しているようにも思えない。
でもまだ朽ちてはいない。
あとで調べると、かつて指折りの威勢を誇った天上寺が炎上する前、遊園地や土産物屋が点在していたらしい。
遊園地!
しかも40年前!

ひとけはないのに、山道はあり、人通りはあるのに、なにかはもう終わってしまっている。
なんだろうこの気配。

不動滝にむかう路にも、この、なんとも言い表せない雰囲気があった。
滝につづく岩場に、名号碑が点々とある。
磨きぬかれても、美しく苔むしてもいない。
放りだされてもいない、禁域とされてもいない。
何に似ているんだろう。清らかでもなく、風化もしていない。
置き去りにされているのに、ふれるとわずかに湿っていて、だれかが絞ったあとがある、洗いざらした手ぬぐいのような。
あまたの目線が、名号碑に注がれ、彫られた筆跡のみどりに、こごっている。
ひとけのない、のこされた目線だけの、気配が濃かった。

山上近くにあった旧天上寺は40年前に燃えつき、青葉が茂っていた。
ここに本堂が、仏塔が、講堂ががありましたと、土と雑草のまえに案内版がある。
金堂跡と指された土と雑草は、二畳ほどにみえる。
せまい。
どこもかわいた土に雑草が繁茂している。
陽光はさかんで、首のうしろを流れる汗は、情趣もなにもない。
夏草をまえに、再建の望みはむなしくなったと、置いてあった。

奥院跡はさらに放りだしてあった。
置いていかれているように置いてあった。
白黒の写真を見ても、四畳半くらいしかない。
伽藍より離れ、こんなところで。
建っていない建物が、在ったということだけで印象にのこった。


六甲山系 青谷道・上野道

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にくへのしゅうねん。

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「あわれさと、みぐるしさをこえて、涙ぐましい執念」といわれました。

いい目をししている、ともいわれました。

犬はこれからも、みぐるしく、もとめていきます。

でも、犬には、ありませんでした。

このように死体を発見されたい。

 大学図書館の、だれもいない地下の書庫の、古い本のかびくさい香りをかいだとき、「のたれ死ぬならここがいい」と雷撃のごとく思った。

 乾いてひんやりした温度に、味気のない、はだかの蛍光灯。節電のためにあいだはぬけていて、うすよごれた殺風景なリノリウムを、ほの暗く点々と照らす。上も下の階も、だれもいない。
 完璧な静寂!
 おしだまった書庫と、私だけ。
 響くパンプスの音。
 倒れたらみつからないだろうな、まずいな、と思いながら、たおれた自分のからだのまわりに白いチョークがひかれ、手もとには読みかけの本…。
 なんてすばらしいシチュエーション!
 かわいて冷たいから、死亡推定時刻がわかりにくい!完璧!

 
 ふたつめ。
 永久凍土のアルプスから、少女のミイラが発見された。3000年前だという。14~16歳くらいか。祈るように、胸のまえで手を組んでいる。髪は、不可思議なかたちに編みあげてある。
 死因は、窒息死。いけにえだった。

 自然神に捧げられたのか、丁重に葬られていた。あたりからは、この1体しか見つからなかった。
 
 
 みっつめ。
 古くから、言い伝えがあった。この仏は、即身仏だ。なおざりにしてはいけない。
 ときを経て、信仰もうすれた。二度の大戦のさなか、古文書も焼かれた。仏像だけは、疎開先からもどってきた。由緒書は、うしなわれた。口伝もない。学術的調査のために、X線を通すことになった。
 疑いようがなく、人骨があった。
 からだを折り、うずくまるように座る、僧侶の死のすがただった。御法のひかりがあまねく届くよう、死をもってこいねがう、とこしえの祈りのかたちだった。

 


 よっつめ。
 命からがら漂流して、流されついた無人島。ここはどこだろう。星座と羅針盤でよんでみたが、てんでわからない。舌打ち。どうやら地図にもない島のようだ。
 ひとを襲う動物たちから、逃げまどううちに、ひとのいた気配を、ところどころに感じる。たき火をしたような、かこい。釣りができるような、張りだしたあと。
 隠された高台に、ついに、小屋のようなものを見いだした。どうしよう。ごくりとのどを鳴らした。
 生きたひとなのか、もはや亡いのか。
 生きているのなら、敵か、味方か。行くべきか、とどまるべきか。
 ひとへの慕情は、こらえがたかった。言葉がつたわらなくても、かまわない。たったひとりの人であることに、耐えられなかった。言葉なんてもう、忘れてしまいそうだ。声を発してさえいない。
 マスケット銃は海の藻屑と消えたが、腰にはナイフをはいていた。鍔にまきつけた皮ひもにふれた。
 ふいに、故郷にのこした家族が、胸にういた。まぶたをとじて、かきけした。
 あけるんだ、あけるしかない。
 ちょうつがいが、苦しげにうめいた。とびらが開いた。
 息をはいた。
 まなじりの横を、汗がながれた。
 泣きたいのか、安堵なのか、わからなかった。
 ひとめみて高価なガウンだった。ガイコツがイスに座していた。たかだかと羽根のついた帽子の下に、がらんどうの髑髏があった。羽振りがよかったのだろう。指輪がテーブルにころがっている。エメラルド、アメジスト、ジェイド、アゲート。東方か。交易の手広さがみてとれた。

 賊か、商人か。エメラルドの指輪に、名前が彫ってある。かすれている。Jか。J…Jacqueline。女性名だ。
 もう一度、息をはいた。
 この絶無の孤島にあって、死のふちにあって、どうして、この衣をまとったのか。虚栄にみちた俗世の衣を。よくみると、ガウンには、腐食のむらさきがあった。
 靴音が、大きく響いた。近づくと、手もとに航海日誌があった。日付がはいっている。1675年8月10日。10年前だった。

 

 あ、ぜんぶ妄想です。

 

 

昔から、こういうハードカバーに憧れます。
書斎の壁一面は、天井までつづく本棚なのです。
kindleにたましいを売っぱらったので、かなわぬ夢と果てました。

アンティーク 調 本型 収納箱引き出し型

 

 

犬は、見守ります。

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犬は、はかるだけダイエットを見守ります。

ほんとうに、はかるだけらしいです。

犬は、おとなになってから、ずっと5キロです。

暑いときも寒いときも、ずっと5キロです。

はかるだけダイエットも、かわらないそうです。

高校生くらいのころ、宮沢賢治の雨ニモ負ケズをひいて、「さふいふ人にわたしもなりたい」といったら、

父が、しばらくだまって、静かな声でいった。
「デグノボーとひとに呼ばれるのは、きついものだよ」


た、たしかに。
意図するせざるにかかわらず、父から、そこはかとなくただよう哀愁。
高校生は、二の句をつげられなかった。

なぜこの話を思い出したかというと、自分が書いたメモを発見したからだった。
5年くらい前だろうか。もう少しまえか。

いやなことを蹴散らすくらいパワフルで、
いいことを呼びこむくらい前向きで、
可能性の低く思われることにでも強気で、
気持ちの強さでおしぬけてしまう勢いがあって、
からだは疲れをしらず、
ストレスははじきかえし、
不満に思わず、
憎みもせず、
水のようにとかして浮かせて流しきり、
陰をつくるものには決してとらわれず、
やりたいことをやりたいと大きな声でいって、
今日も明日もあさっても前向きで、毎日すごしたい。


前のめりなことしか、書いてないじゃないか。
当時はただの詠嘆だと思っていたけれど、いま読めば、はりつめたものを感じるなあ。
暗くたっていいじゃないか。ストレス感じてもいいんだよ。パワーがなければ、省エネでいいよ。
あるものでなんとかすればいいよ。ほかのだれかになろうとしなくていいよ。
そんなにがんばらなくていいんだよ。よくやってるよ。肩のちから、ぬきなよ。

凍えるがごとき逆境にたちむかうひとたちが、逆境だと自らをおいこむひとたちが、そこはけっして艱難辛苦ではないと、ひとっこひとりいない荒野ではないと、ふり仰いだその先の、凪の日のゆりかごに、まっさらな朝陽がふりそそぎますように。

 

いい表紙だなぁ。。。

雨ニモマケズ (画本宮澤賢治)