ふみのや ときわ堂

季感と哀歓、歴史と名残りの雑記帳

春の夜の 闇はあやなし 梅の花 色こそ見えね 香やは隠るる

犬と四季 番外 和歌と四季

▼本日撮った白梅


うちの家の梅は、はやい。
毎年、センター試験のころに咲く。
花期は長かった。
なかなか散らない。
高3のセンター試験のあと、華々しくもない結果をかかえて、よくこの梅をみた。
一輪ずつ咲いていく。
1月のこのころ、ほかにあまり花はない。
芝生も枯れて、みどり色もない。
あたりに、色という色がなかった。
いったい、こころのなかも暗い。
白夜と、極夜が、数日おきにいれかわって、もう太陽がでているのか、夜なのかもわからない。
砂時計の砂が、からからに渇いて、頭上から降りそそいでくる。
あつい砂をかぶっているのに、うすらさむかった。
そしてどこにも、よりどころはなかった。
タイムリミットに、食われそうだった。

夜になって、休憩と称して、庭にでた。
なにか、違和を感じた。
鼻をくすぐるものがあった。
なんらかのにおいがする。
さむいだけの冬の夜に。
どこだろう。
近づくと、しろいものがあった。
しばらくすると、白梅が浮かびあがった。
鳥肌が立った。
梅のかおりだ。
かおりが、先に届いたのだ。
さほどに、梅はかおりがつよいのだ。
あとで辞書を引くと、「暗香浮動」と書いてあった。
あんこうふどう。
どこからか、暗いなかを、香りがただようのだという。
それは梅なのだという。

反射的に、この歌が思い出された。

春の夜の 闇はあやなし 梅の花 色こそ見えね 香やは隠るる
(古今和歌集・大河内躬恒・平安前期・900年前後)

意味は同じだろう。
梅の花の色はみえないけれど、かおりは隠れてはいない。
ダブルミーニングで、あなたは隠せているつもりかもしれませんが、わたしにはわかっていますよ、という恋の歌になる。
夜、闇、あやなし、という艶めいたことばにうっとりする。

作者の大河内躬恒は、古今和歌集の選者のひとり。
なぜ彼が、そのひとりにうまれたのかは、よくわからない。
なんせ、このころまだ無官。
位だけあったが、無職だった。
撰者は4人。
当代第一の歌人として、みなに認められた、位の高い貴族たちのあつまりではなかった。
このとき、いちばんの年長で、歌界にみとめられていたのは、紀友則。
後世において、いちばん名高い、紀貫之の従兄である。
はじめての勅撰和歌集だった。
「勅撰」「1つめ」で、どうして覚えさせられるのかというと、当時の革新だったからだ。
勅撰。
このことばのひびきの、有無をいわせない感じ。
ぞくぞくする。
この文字がついただけで、万人の口がとじる。
雲の上のひとである。
勅使がおとずれるなら、太政大臣であろうとも、下座になる。
勅命がくだったら、くつがえすためには、人が死ぬ。
勅勘をこうむったら、社会的死を意味する。
物体的にも、死ぬかもしれない。
この一文字の、重すぎる重み。
和歌が、はじめて、みことのりをもって、編まれるのである。
この栄誉。和歌はただの手すさびではない。
芸術になった。
国家事業になった。
時代がくだれば、下級貴族であっても、歌人であるだけで、職を得られるようになった。

その第一歩になる、古今和歌集。
和歌に、ようよう春がやってきたのだ。
まだ花なんて、よほど見えぬこの寒さのなかに。
かおりだけが、闇のなかであやなす、無官の身に。
梅ともつかぬ、ほのかな色が。
和歌にも、大河内躬恒にも、梅にも、受験生にも。

新古今和歌集があまれるころになると、古今をそらんじることは、貴族のたしなみになる。

というわけで、ここをごらんの貴族のみなさま、暗唱しましょう。

春の夜の 闇はあやなし 梅の花 色こそ見えね 香やは隠るる

梅は香りがつよい。そして、暗香浮動とは、春のおとずれと同旨だった。


▲この花が咲くたびに、センター試験と、和歌ごと思い出す、あの焦燥感。

新版 古今和歌集 現代語訳付き (角川ソフィア文庫)

▲ぜんぶ一緒にみると、覚えられるものも覚えられない。と思いつつ、はっときます。できるだけはやく、みなさまに春が訪れますように。